のちの経歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:38 UTC 版)
発明したシステムが最初に成功した後、1880年に管理人 (Controller) に昇進し、1882年に検査技師 (Inspector-Engineer) に任命された。 1887年7月、Commercial Companyにより運用されていたウェストン=スーパー=メア・ノバスコシア州ウォータービル(en:Waterville, Nova Scotia)間の大西洋電信ケーブルにおいて、ダブルボドーが二重化され、ボドーの送信機と受信機をレコーダ代わりにして、試験に成功した。 1890年8月8日、パリ、ヴァンヌ、ロリアンの間に1本のワイヤを介して通信を確立した。1894年1月3日、パリとボルドーの間に三重の装置を設置した。これはそれ以前にヒューズの電信システムで問題が生じていた。1894年4月27日、パリ証券取引所とミラノ証券取引所の間で、新たな発明である再送信機を使用して、再び1本のワイヤの通信を確立した。 1897年、ボドーのシステムは、チャールズ・ホイートストンとCreedのシステムで使用されるモールステープのように、オフラインで準備される紙テープに切り替えることで改善された。その後、ボドーのディストリビュータにより制御されるテープリーダーが手動のキーボードに取って代わった。テープにはコード用に5列の穴があり、6列目にはリーダーの機構を介してテープを輸送するための小さな穴があった。ボドーの符号は、後にInternational Telegraph Alphabet Number Oneにより標準化された。 ボドーは考案したシステムについてフランス電信局からほとんど援助を受けておらず、1880年に1878年の万博により授与された金メダルを売らなければならないほど、自身の研究に資金を供給しなければならなかった。 ボドーの電信システムはフランスで徐々に採用され、その後他の国でも採用された。イタリアでは1887年に内陸部で最初に導入された。オランダは1895年、スイスは1896年、オーストリアとブラジルでは1897年に採用された。英国郵便局は1897年にロンドン・パリ間の単信回路に採用し、1898年からより汎用目的に使用した。1900年にドイツで、1904年にロシアで、1905年に英国西インド諸島で、1906年にスペインで、1909年にベルギーで、1912年にアルゼンチンで、1913年にルーマニアで採用された。
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