とがわ‐まさこ〔とがは‐〕【戸川昌子】
戸川昌子(とがわ・まさこ)
1933年(昭8)、東京生まれ。シャンソン歌手。また、レズビアンバー「青い部屋」「蒼ざめた肌」を経営。音楽喫茶「銀巴里」で唄っていた頃は、三輪明宏と一緒だった。他殺クラブ会員。霧の会会員。「伊藤忠」「南洋物産」で英文タイピストとして働いていた頃、ガリ版刷り同人誌を出版。
1957年(昭32)、英文タイピストを辞め、シャンソン歌手となる。
1962年(昭37)、「大いなる幻影」で第8回江戸川乱歩賞受賞。
1963年(昭38)に刊行した「猟人日記」が、1963年(昭38)に第50回直木賞候補となる。のちに日活から映画化され、出演。また、同名の歌がサトーハチロー作詞によりレコード化されたが、お蔵入りになる。
1963年(昭38)に「宝石」に発表した「闇の中から」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1964年版」に収録される。
1964年(昭39)に「オール読物」に発表した「緋の堕胎」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1965年版」に収録される。
1965年(昭40)に「小説現代」に発表した「黒い餞別」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1966年版」に収録される。
1966年(昭41)に「オール読物」に発表した「蜜の味」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1967年版」に収録される。
1967年(昭42)に「オール讀物」に発表した「裂けた眠り」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1968年版」に収録される。
1967年(昭42)に刊行した「蜃気楼の帯」が、1968年(昭43)に第21回日本推理作家協会賞の候補となる。
1968年(昭43)に「文藝春秋」に発表した「円卓」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1969年版」に収録される。
1969年(昭44)に「オール讀物」に発表した「処刑された沈黙」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1970年版」に収録される。
1970年(昭45)に「オール讀物」に発表した「黄色い吸血鬼」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1971年版」に収録される。
1970年(昭45)に「小説現代」に発表した「夜嵐お絹の毒」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和46年度」に収録される。
1971年(昭46)に「小説現代」に発表した「眠れる森の醜女」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1972年版」に収録される。
1972年(昭47)に「オール讀物」に発表した「裂けた鱗」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1973年版」に収録される。
1972年(昭47)、日劇ミュージックホールで催された「エロスの狩人たち」の構成を手がけ、また同年、日劇ミュージックホールで戸川昌子一座を旗揚げする。
1979年(昭54)に「小説新潮」に発表した「怨煙嚥下」が1980年(昭55)に第33回日本推理作家協会賞短編部門の候補となる。
「耳年増」という言葉の発案者であるという。
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