その後のメルセデス・18/100PS
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「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「その後のメルセデス・18/100PS」の解説
復帰戦を華々しい勝利で飾ったメルセデスチームだったが、その同月末、1914年7月28日に第一次世界大戦が勃発し、ヨーロッパにおけるレース開催は不可能となる。活躍の場を失った1914年型メルセデス・18/100PSはその後、様々な運命をたどった。 開戦前にイギリスの販売店に展示用に送られていた1台(ラウテンシュラガーの優勝車だと考えられている)は戦争省によって没収され、ロールス・ロイスに引き渡され、エンジンの技術は航空機用のホークエンジン(英語版)に大きな影響を与えたと言われている。また、1919年に設立されたベントレーもこの車両から恩恵を受けたとされる(「ベントレー・3リットル」も参照)。 フランスGPで3位になったザルツァーが乗っていた車両は、同レースに参戦していたラルフ・デ・パルマ(英語版)に売却されてアメリカ合衆国に渡り、1915年のインディ500を制覇した(「#インディカー」も参照)。デ・パルマはパッカードと縁が深かったことから、この車両のエンジンもまた解析され、パッカードを経由して航空機用のリバティエンジンに影響を与えたとされる。この車両は1920年以降は消息不明となるが、一説にはイギリスのコレクターの手に渡ってヨーロッパに戻ったとも言われている。 終戦後の1922年には公道レースのタルガ・フローリオに3台が出走し、その内の1台は同レースで優勝した(「#ラリー」も参照)。 技術面では、1914年型グランプリカーでは、水冷エンジン用のウォータージャケット(英語版)を設けるにあたって、シリンダーブロック製作時に鋳物でウォータージャケットを設けるのではなく、鋼板で製作したウォータージャケットをシリンダーブロックに溶接するというメルセデス独特の「ウェルデッド・ウォータージャケット」構造(welded-on water jacket)という技術が用いられた。これは冷却効率に優れ、高回転エンジンに向いていたことから、1930年代の「シルバーアロー」時代を経て、1950年代のW196のM196エンジンにまで使われ続けることとなる。
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