その後のメルセデス・18/100PSとは? わかりやすく解説

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その後のメルセデス・18/100PS

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 14:45 UTC 版)

モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「その後のメルセデス・18/100PS」の解説

復帰戦を華々しい勝利飾ったメルセデスチームだったが、その同月末、1914年7月28日第一次世界大戦勃発しヨーロッパにおけるレース開催不可能となる。活躍の場失った1914年メルセデス・18/100PSはその後様々な運命たどった開戦前イギリス販売店展示用に送られていた1台(ラウテンシュラガーの優勝車だと考えられている)は戦争省によって没収されロールス・ロイス引き渡されエンジン技術航空機用のホークエンジン(英語版)に大きな影響与えたと言われている。また、1919年設立されベントレーもこの車両から恩恵受けたとされる(「ベントレー・3リットル」も参照)。 フランスGP3位になったザルツァーが乗っていた車両は、同レース参戦していたラルフ・デ・パルマ英語版)に売却されアメリカ合衆国渡り1915年インディ500制覇した(「#インディカー」も参照)。デ・パルマパッカードと縁が深かったことから、この車両エンジンもまた解析されパッカード経由して航空機用のリバティエンジンに影響与えたとされる。この車両1920年以降消息不明となるが、一説にはイギリスコレクターの手渡ってヨーロッパ戻ったとも言われている。 終戦後1922年には公道レースタルガ・フローリオに3台が出走しその内の1台は同レース優勝した(「#ラリー」も参照)。 技術面では、1914年型グランプリカーでは、水冷エンジン用ウォータージャケット英語版)を設けにあたってシリンダーブロック製作時に鋳物ウォータージャケット設けるのではなく鋼板製作したウォータージャケットシリンダーブロック溶接するというメルセデス独特の「ウェルデッド・ウォータージャケット」構造(welded-on water jacket)という技術用いられた。これは冷却効率優れ、高回転エンジン向いていたことから、1930年代「シルバーアロー」時代経て1950年代W196M196エンジンにまで使われ続けることとなる。

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