その後のマーガレット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 10:45 UTC 版)
「マーガレット・ナイト」の記事における「その後のマーガレット」の解説
紙袋製造機の特許取得後、マーガレットは会社「Eastern Paper Bag Co.」を協力者とともに設立し、1871年と1879年に紙袋製造機に改良を加えるための2つの特許を取得した。マーガレットは、このときに2500ドルの前金と引き換えに会社に特許を売却している。また、工場の労働者たちに紙袋製造機の使い方を説明しようと試みたこともあるが、工場の労働者たちからは「女性はどうせ機械の使い方など分からない」という理由で機械の取り付け方の伝授を断られるなどの女性差別問題にも直面している。 1890年には靴作りに注目して、靴の裁断工程を改善するために靴底裁断機などを発明して、4年間で6つの靴作り関連の特許を取得している。その他にも彼女は20件以上の多岐に渡る特許を取得した。特にマーガレットが発明した自動車用のスリーブバルブは彼女の発明の中でも有名な部類に入れられる。その他にも「Knight Silent Motor」として知られているガソリンエンジンも開発している。 1913年10月19日付の雑誌『ニューヨーク・タイムズ』は、「70歳になったナイトは、89番目の発明品のために毎日20時間働いている」と報じている。 1914年10月12日に、マーガレットはマサチューセッツ州フレイミングハムで享年76歳で亡くなった。彼女は発明品の権利の大半を務めていた企業に売ってしまっていたため、彼女の遺産はわずか275,05ドルだと評価された(現在では約7000ドル弱にあたるとされている)。 彼女が残した言葉「I'm only sorry I couldn't have had as good a chance as a boy, and have been put to my trade regularly.」(私は男子のような良い機会に恵まれずに、定期的に仕事をさせてもらえなかったことを残念に思っています。)は名言として語り継がれている。
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