その後のボリビア社会の情勢
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「コチャバンバ水紛争」の記事における「その後のボリビア社会の情勢」の解説
「ボリビアガス紛争」も参照 コチャバンバ水紛争は、農民と都市で働く労働者たちの団結を生み出した。2000年9月、10月には政府のコカ栽培撲滅政策に反発した農民たちを中心に、幹線道路の封鎖および軍警察との衝突がボリビア全土で発生した。これは長期間におよび、ボリビア国内の経済活動に深刻な影響を与えた。 2002年の大統領選挙は、2度目を狙うゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダが得票率22.46%で、辛うじて勝利した。しかし、先住民系の候補者であったエボ・モラレスが予想に反して2位(得票率20.94%)に躍進した。 2003年、天然ガスのパイプラインの建設計画を発端としたボリビアガス紛争が発生した。警察と反対派住民の衝突が激化し、ラパスの都市機能が完全に麻痺した。サンチェスは2003年10月17日に辞任に追いまれ、国外に脱出した。2005年の選挙で、先住民初となるエボ・モラレスが大統領の座についた。
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