その後のメキシコ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 23:30 UTC 版)
1871年、フアレスは大統領に再選され、2期目を迎えたが、憲法には再選は禁止と規定されていた。これは落選した候補者の一人ポリフィリオ・ディアスを挑発し、大統領に対して反旗を翻した。 銃主義派の中の穏健派に支援され、反乱の企て「ノリアの陰謀(w:Plan de la Noria)」は、争点を指摘したまま、1872年7月19日にフアレスが大統領公邸で急死した時点で敗れ去った。ディアスは暫定大統領の セバスティアン・レルド・デ・タヒーアに反抗し選挙で敗北し、オアハカの大農園に隠遁した。4年後の1876年、レルド自身が、再選を図ったとき、ディアスは二度目の反乱「Tuxtepecの陰謀(w:Plan de Tuxtepec)」を起こし、大統領職を奪い、1911年まで8期にわたり長期政権を敷くことになる。 メキシコ出兵以前は、領土問題からアメリカとの抗争が続いていたメキシコであるが、メキシコ出兵への抵抗運動にアメリカが支援したことから、メキシコに対するアメリカの発言力は増すこととなった。以降、地域のパワーバランスはアメリカ優位のまま、21世紀に至るまで固定化されている。
※この「その後のメキシコ」の解説は、「メキシコ出兵」の解説の一部です。
「その後のメキシコ」を含む「メキシコ出兵」の記事については、「メキシコ出兵」の概要を参照ください。
- その後のメキシコのページへのリンク