そのほかの例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 16:49 UTC 版)
江戸時代において、米沢藩の財政改革は成功したのに対して、江戸幕府の改革はたびたび失敗している。米沢藩が歳出削減や他藩への輸出興業を図ることにより財政収支を好転させることができたのに対して、当時は外国との交易が制限されていたため、幕府の自らの改革は、全体の経済活動を冷え込ませるだけに終わることになってしまった。領国経営において緊縮財政による財政改革に成功した徳川吉宗、松平定信の改革が国政レベルでは失敗したのはこれによる。 1990年代の日本における財政改革で、財政再建や消費増税をした結果、景気が著しく悪化し、かえって財政構造が悪化した。これは、財政が経済に占める規模が大きいため、一家計や一企業の収支を改善する方法が通用しないことを示している。経済学者の若田部昌澄は「財務省はよく国の会計と企業・家計の会計とを同一視する比喩を用いる。こうした類推・比喩はたいへん誤解を呼ぶものであり、論理的ではない」と述べている。 1990年代半ばから2000年代の日本において、企業は傷んだバランスシートを改善するために借金返済を優先した。バランスシートの傷んだ企業がその改善を行なうこと自体は適切な行動であると考えられるが、多くの企業が同時に債務の返済に走ると経済全体では設備投資などが落ち込み、景気の悪化を招くこととなる。そして、バランスシートはその景気の悪化によって再度傷つくことになったため、図ったほどには改善しなかった。そこで、企業はバランスシート改善のためにさらなる債務の返済に走り、経済が縮小均衡へと向かうこととなった(バランスシート不況)。 円高になると個々人は輸入や海外旅行において有利になるため、円高を礼賛するような言説がしばしばなされることがあるが、円高になっても日本全体の輸入量を増やせるわけではない。これは、円高によって交易条件が改善するわけではないこと、および、経常収支の黒字が資本収支の赤字と一致するよう国全体での純輸出が決まってしまうことから、円高とは関係なく輸入量・輸出量が決まるためである。貯蓄投資バランスも参照。 上記の例のように、国民経済の枠組みにおいて財政は割合が大きいが、世界経済の枠組みにおいては、一国の財政はミクロの客体となる。このため、通貨切り下げなどで自国経済を活性化させることで財政構造を改善することができる。しかし、この政策も結局、世界中の国で行われれば、合成の誤謬が発生する。
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