そのほかの伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 03:03 UTC 版)
お種に関する白蛇伝説がよく知られているが、そのほかにも次のような伝説が語り継がれている。 多鯰ヶ池の主の蛇は、長い間水の中にいるのが退屈になり、時々水から出ては農家の鶏を襲ったり、卵を呑んだりするようになった。蛇のいたずらに困り果てた村人は、なんとか池の中に封じ込める方法はないかと考えた。結局、徳の高いお坊さんに祈祷してもらうほかないだろうということになり、味野にある願行寺の和尚さんに祈祷をお願いした。和尚さんは椿の木を1尺ばかりに切り、その先をとがらせた。そして呪文を唱えながらその杭を池に投げ込むと、杭は生きもののように整然と岸辺に突き刺さり、みるみるうちに椿の垣ができた。蛇は椿の垣に封じ込められ、再び陸に上がってくることはなかった。 昔、法美郡におまんというおばあさんが住んでおり、大島の弁財天を篤く信仰していた。毎年必ず小さなお餅をたくさん背負ってお参りしていた。ある年の夏、ひどい日照りが続き、田畑の作物は次々と枯れていった。おまんは弁財天に救済してもらうことを思いついた。池のふちに立ったおまんは、木の葉の上に一個ずつお餅をのせると、水に浮かべて恵みの雨を祈願した。お餅をのせた木の葉は池のまん中あたりまで行くと、たちまち吸い込まれるように沈んでいった。すると、にわかに空がかき曇り、雷鳴とともに雨が降り始め、田畑は緑を取り戻していった。 慶長の頃、鳥取城主となった池田備中守長吉が、多鯰ヶ池の主になっている蛇の尾の先に見事な宝剣があると聞いた。どうしてもその宝剣がほしくなった長吉は、京都から蛇取りの名人を呼び寄せた。名人はすぐに蛇を捕まえたが、「たしかに剣はあったが、まだ小さな蛇なので使い物にならない」と長吉に伝えた。長吉はいたく落胆したという。
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