すべてが在る
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:07 UTC 版)
「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」の記事における「すべてが在る」の解説
詳細は「究極集合」を参照 多世界論(英文:Many worlds theory)を用いて解答する立場がある。多世界論という結論に至るまでのステップは少し長いが次のようになる。まずこの問いが「無を特別扱いしている」点についての考察がある。つまりこの問いは基本的に二分法の構造を持っており、無と有を対比させた上で、無は自然で普通であり説明の必要のないもの、そして有であることは説明が必要な特異な事態である、こういう暗黙の前提が置かれた状況で問いが投げかけられている。しかし無が普通である、自然であるという直感には取り立てて具体的な根拠はない。この無を非平等的に扱っている点はしばしば指摘されるが、この「無の特別扱い」をやめた上で世界のあり方についての説明を模索し直した時に現れるのが多世界論である。世界について可能であったあり方に関して考えると、無は確かにあらゆる可能性の中で一番シンプルではある。しかし観測結果は無であることを否定する。つまり私たち自身の経験的な観測結果により世界が無であることは否定される。こうして世界が「無(nothing)」であることが棄却されたその後、残りの可能性の中で最もシンプルである世界のあり方を考えると、それは「すべて(everything)」、つまりあらゆるものが存在すること、となる。こうして「論理的に矛盾のない宇宙」すべてが存在するだろう、という結論が導かれる。私たちが今いるこの宇宙は、無限個に存在しているありとあらゆる宇宙の中の、一つである。哲学者のロバート・ノージックは「すべてが在る」という考え方を「豊饒性の原理(principle of fecundity)」と名づけ、そうした解答の可能性について分析を行った。様相論理学の分野で議論される様相実在論(modal realism:あらゆる可能世界は実際に存在するという主張)も、基本的に同等の内容を持っている。 こうした多世界論は物理学の観点からはマルチバース理論とも呼ばれる。ただしこの文脈で議論される多世界論は、単に複数の宇宙がある、というだけの主張ではなく、ありとあらゆる宇宙がある、という主張であり、マックス・テグマークの分類によるならばレベルⅣマルチバース :究極集合 (ultimate ensemble) にあたるものである。理論物理学者のマックス・テグマークは、この世界の究極的な実在は数学的構造(mathematical structure)であり、かつあらゆる数学的構造が実在している、という考えに基づき、あらゆる可能的な宇宙が実在するだろうと主張している。テグマークは次のように述べている。 スティーヴン・ホーキングはかつてこう問うた。「いったい何が、これらの方程式に火を吹き入れ、それによって記述されるような宇宙を作ったのか?」と。しかし数学的宇宙仮説からすれば、火を吹き込むことなど必要ない。なぜなら、数学的構造は、宇宙の記述ではなく、それこそが宇宙だからだ。 — マックス・テグマーク(2007年)「黙って計算しろ("Shut up and calculate")」 加えてテグマークは、もしこの宇宙の様々なパラメータが、可能的な宇宙全体の中で、生起頻度の高い状態(いわばありがちなもの)であるならば、この理論は経験的にも確証され得るもの、つまり科学的な理論としても捉えることが可能なものかもしれない、と主張している。 この立場の良い点は、理論として簡潔であることである。加えて、「私たちの宇宙は、なぜこうなっているのか?」「なぜこの自然法則なのか?」という、この後に継続する問いに対しても、この立場は「無数にある宇宙のひとつとして、たまたまそうだった」という人間原理を用いた解答ができるという利点もある。この立場の悪い点は、当然ながら存在するとされるものの数が、あまりにも多いことである。オッカムの剃刀は「理論的な仮定の数は少ない方が良い」という形で捉えられる場合と、「措定される実体の数は少ない方が良い」という形で捉えられる場合があるが、多世界論は「すべてがある」というだけの単純な理論であることから、前者の意味では非常に適している。しかし後者の意味では最も悪いものとなる。この点について様相実在論を擁護しているデイヴィッド・ルイスは、全体としての理論の統一性と節約性を高めるために、すべての可能世界や可能的対象が存在するという「存在論的コスト(ontological cost)」を払わねばならない、と主張している。 この立場において、最後に説明されずに残る問いは、「なぜすべてが存在するのか」「なぜ数学的構造(論理)が存在するのか」である。
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