皇極天皇とは? わかりやすく解説

皇極天皇

皇極天皇の時代は、天変地異続いて民衆嘆き、皇極天皇が雨乞いをしたという。
そのようななか、645年乙巳の変(いっしのへん)」が起きた
この頃政治蘇我蝦夷入鹿専横目立ち642年には聖徳太子の娘上宮大娘(かみつみやのいらつめ)に「蘇我臣は国政ほしいままにし、無礼振る舞いが多い。
なにゆえ太子の民を勝手に使役するのか」と大憤慨させたという。
そして643年には蘇我入鹿蘇我馬子の娘の法提郎媛の子古人大兄皇子皇位につけようとして邪魔になる聖徳太子の子山背大兄王殺害しょうと兵を挙げ襲った
山背大兄王はこの時は奴に助けられたが、後に一族もろとも自害した(「上宮王家の滅亡」ともいわれている)。
これらをみていた中臣鎌足軽皇子(後の孝徳天皇)、中大兄皇子らが語らって645年三韓の調(儀礼をともなう貢物)を奉献する日を選び蘇我倉山田石川麻呂上奏文を読み上げるよう協力たのんだ
いよいよ皇極天皇が大極殿出御され、古人大兄皇子陪席した。
中臣鎌子は、日頃から蘇我入鹿性格疑い深く昼夜剣を帯ぴていることを知っていたので、俳優わざびと)に教え入鹿だまして剣を取り上げた
入鹿大極殿中に入りについた
石川麻呂前に進み出て三韓の上表文読み上げた
中大兄皇子衛門府(ゆけいのつかさ)に命じ一斉に十二宮門をさし固め誰も通らせないようにし、中大兄皇子は自ら長槍をとって大極殿傍ら隠れた
いっぽう中臣鎌足弓矢をもって皇子守った
鎌足は海犬養連勝麻呂命じ佐伯連子麻呂葛城犬養網田に剣を授け、「すばやく斬れ」といった。
しかし佐伯連子麻呂らは怖気づき剣が振るえなかった。
石川麻呂は、上表文読み終わろうとするが、佐伯連子麻呂らの様子変なため恐ろしくなり、全身に汗が流れ出してきて声も乱れ手も震えた
これに気づいた入鹿怪しんで、「なぜ震えているのか」と咎めると、石川麻呂は「あまりに天皇のお側近いのが畏れ多くて不覚にも汗が流れて」と答えた
中大兄皇子佐伯連子麻呂らが入鹿威勢恐れためらっているのを見て、不意をついて躍り出て剣で入鹿斬りつけた。
皇極天皇は大変驚いて中大兄皇子に、「これはいったい何事起こったのか」といわれた。
中大兄皇子蘇我入鹿皇位簒奪悪行細かに奏上した。
この後古人大兄皇子は邸に逃げ蘇我入鹿の父蝦夷は邸を焼いて自害した
皇極天皇は中臣鎌足推挙により皇位軽皇子譲り(譲位の初例)自らは上皇となった





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