かつて運航されていた船舶
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「釜関フェリー」の記事における「かつて運航されていた船舶」の解説
※要目は当社就航時のデータ。 フェリー釜関 (Ferry Pukwan、初代)船籍:韓国 1973年3月竣工。10,781国際総トン、全長135.5m、幅22m、出力16,000馬力、航海速力18ノット(最大21ノット)。 旅客定員500名。車両等積載数:乗用車109台など。神田造船所(日本)建造。 1973年3月、「つくし」として竣工し翌月、西日本フェリー(日本)の神戸 - 苅田航路に就航。1975年3月、阪九フェリー(同)に売却され「第十六阪九」に改名。1983年4月、釜関フェリーが購入し「フェリー釜関」に改名、韓国船籍となり同月27日就航。1999年2月、「フェリー釜関」(2代目)就航に伴い退役。ギリシャに売却。 フェリー釜関 (Ferry Pukwan、2代目)→ウンハ (銀河、Eunha)→ウン (Eun)船籍:パナマ 1973年12月竣工。10,729国際総トン、全長135m、幅22m、出力15,999馬力(ウンハの要目では16,000馬力)、航海速力18ノット(最大21ノット(ウンハの要目では20.5ノット))。 旅客定員500名。車両等積載数:乗用車109台など(ウンハの要目では、乗用車30台、トラック(8t換算)61台、コンテナ(10フィート換算)90個)。神田造船所(日本)建造。 1973年12月、「つくし」(前述)の同型船「はかた」として竣工し同月8日、西日本フェリー(日本)の神戸 - 苅田航路に就航。1975年3月、阪九フェリー(同)に売却され「第十七阪九」に改名。1984年8月、関釜フェリー(同)に売却され「フェリー関釜(3代目)に改名。1998年8月に退役後の1999年2月、釜関フェリーが購入し「フェリー釜関」(2代目)に改名され同月5日就航。2005年5月、「ソンヒ」就航に伴い退役後、同年10月「ウンハ」に改名。2004年7月に運休後の2005年、「ウン」に改名。2006年、ギリシャに売却。
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かつて運航されていた船舶
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「関釜フェリー」の記事における「かつて運航されていた船舶」の解説
フェリー関釜 (初代) (Ferry Kampu) 1970年6月竣工、同月16日就航。3,875国内総トン、全長114.7m、幅16m、出力8,000馬力、航海速力16.5ノット(最大17.4ノット)。 旅客定員578名。車両積載数:乗用車60台。大平工業建造。 1976年7月、韓国に売却され「Dongyang Express Ferry」に改名。1991年、フィリピンに売却され「Our Lady of the Rule」に改名。 フェリー関釜 (2代) (Ferry Kampu) 1968年10月、阪九フェリーの「第六阪九」として竣工。1976年7月購入、同月9日就航。5,169国内総トン、全長127.3m、幅22.4m、出力7,340馬力、航海速力18.2ノット(最大20.1ノット)。 旅客定員952名。車両積載数:トラック80台。林兼造船下関造船所建造。 1984年、阪九フェリーに売却され「希望丸」に改名。1986年、ギリシャに売却され解体。 フェリー関釜 (3代) (Ferry Kampu) 1973年12月、阪九フェリーの「第十七阪九」として竣工。1984年8月購入、同年9月16日就航。6,590国内総トン、全長135.5m、幅22m、出力16,000馬力、航海速力21.8ノット(最大22.3ノット)。 旅客定員689名。車両積載数:乗用車30台、トラック80台。神田造船所建造。 1998年8月に退役後の1999年2月、釜関フェリーに売却され「フェリー釜関」に改名のうえ同月5日就航。2005年10月、「銀河」(ウンハ)に改名。2004年7月に終航後の2006年、ギリシャに売却され「Panagia Agiassou」に改名。
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