フェリー関釜 (初代)とは? わかりやすく解説

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フェリー関釜 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/30 06:59 UTC 版)

フェリー関釜(初代)
基本情報
船種 フェリー
船籍 日本
所有者 関釜フェリー
運用者 関釜フェリー
建造所 大平工業安芸津造船所
IMO番号 7028154
経歴
起工 1969年
進水 1970年
竣工 1970年6月[1]
就航 1970年6月19日[2]
最後 2011年インドで解体
要目
総トン数 3,875トン[1]
載貨重量 900トン[1]
全長 114.7 m[1]
19.0 m[1]
深さ 11.15 m(上甲板)[1]
満載喫水 4.5 m[1]
機関方式 ディーゼル
主機関 2基[1]
推進器 2軸[1]
最大出力 8,000馬力(連続)[1]
最大速力 17.4ノット
航海速力 16.5ノット[1]
旅客定員 576名[1]
積載能力 コンテナ70個[1]
車両搭載数 乗用車60台[1]
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フェリー関釜(フェリーかんぷ)は、関釜フェリーが運航していたフェリー。本項目では1970年就航の初代について取り扱う。

概要

日本初の国際フェリーとして大平工業安芸津造船所で建造された。1970年6月16日に第一便が運航され、6月19日から正式に就航した[2]

フェリー関釜 (2代)(元阪九フェリー第六阪九)が1976年7月9日に就航したため引退した。

1976年7月、韓国のDong Yang Express Ferry Co., Ltd.に売却され、Dongyang Express Ferryとして就航した。 1991年フィリピンセブフェリー英語版に売却されOur Lady of the Ruleとして就航した。 2010年9月29日に運航を終了して係船された。

その後、スクラップとして売却され、2011年インドで解体された。

航路

関釜フェリー

片道の航海時間は約7時間で、本船のみで週3便を運航していた[3]

設計

船体は4層構造で、最下層はコンテナデッキとなっており、上甲板の後部が乗用車搭載区画となっていた[3]。ランプウェイ船首尾にあり、バウドアとスターンドアを装備する。

船内

船室

  • 一等室(48名)
  • 特二等室(100名)
  • 二等室(428名)

設備

パブリックスペース

  • 案内所

供食・物販設備

  • レストラン
  • バー

入浴設備

  • 浴室

娯楽設備

  • 娯楽室

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 世界の艦船(1972年8月号,p38)
  2. ^ a b 世界の艦船(1970年8月号,p77)
  3. ^ a b 世界の艦船(1972年8月号,p54)



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