あさに影響を与えた人々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 08:50 UTC 版)
「あさが来た」の記事における「あさに影響を与えた人々」の解説
玉利友信 演 - 笑福亭鶴瓶 奈良の豪商。1867年、加野屋が経営危機に瀕し借金を申し込みに来たあさについて「日本一の女商人になる」と予見し、無利子で資金を貸す。 福沢諭吉(ふくざわ ゆきち) 演 - 武田鉄矢 教育者。明治11年、初めて上京した通りすがりのあさに道を訊ねられる。当初はあさを変わり者だと思っていたが牛鍋屋で再会し、しっかりした女性と認識を改め、女社長になることを勧める。 渋沢栄一(しぶさわ えいいち) 演 - 三宅裕司 「西の五代 東の渋沢」と言われる実業家。人々から「銀行の神様」と称されている。元大蔵省の官僚であり、山崎平十郎の元上司。生前の五代とも交流があり、彼からあさの評判を聞いていた。 銀行について助言を求めて来たあさと新次郎に、銀行経営についての大切さを説く。その中で五代や自身の考えとして、国益のために教育に力を注ぐことが必要と述べる。 成澤泉(なるさわ いずみ) 演 - 瀬戸康史 1888年に、あさが晴花亭で見かけた青年。澤山や同志社の新島らの紹介で、新潟で校長や牧師を務めたものの、勉学がしたいために帰阪した。妻に対しアメリカへ留学の希望を語る。 留学から帰国後、桃沢女学校の教員となるが退職。女性行員を採用した加野銀行やあさの評判を聞き、たびたび加野銀行の様子を観察しに来るが、要注意人物と見なされる。日本初の女子大学設立を目指し、あさに協力を求める。 あさが刺傷を受けた一件で山崎から叱責され、しばらく自己嫌悪に陥る。宜からあさからの伝言を聞いて初めて病室を訪れ、あさに詫びるが、共に再び頑張ろうと励まされる。その後、かねてから執筆していた女子教育についての論文「女子ノ教育ニ就テ」を書籍化し、全国的に女子教育の重要性を広めようと、伊藤博文をはじめとする著名人に直訴するなど精力的に活動する。 1901年、日の出女子大学校の初代校長となる。初心を忘れない様、自身の出発点の記念として以前あさに仕立ててもらったスーツを大事に着ている。 成瀬仁蔵がモデル。
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