『花関索伝』での登場とは? わかりやすく解説

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『花関索伝』での登場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/19 04:24 UTC 版)

胡金定」の記事における「『花関索伝』での登場」の解説

関羽の妻。父は胡員外。子は関索となっている。 184年劉備関羽、張飛義兄弟契り結んだ折、関羽張飛後顧の憂いを断つために、互いに相手家族を殺すことにした。関羽の家にやってきた張飛は、命乞いをする息子関平を殺すに忍びず、供として連れて行くことにした。この時、関羽の妻であった胡金定見逃してやった。胡金定実家胡家荘に帰り間もなく関羽男児関索)を産む。 7年後192年)、男児は七歳の時に迷子になる。そして索員外員外とは「金持ち旦那」の意)なる人物拾われそのまま養子として育てられる関索そののち道子花岳先生なる人物のもとで『三略』『六韜』を習い武芸修行励んだ203年、索童は18歳になったある日両親のことを花岳先生尋ねてみると、花岳先生は索家荘へ行くように教えた。索童は花岳先生別れ下山することにした。索員外は、索童に「お前の本当父親劉備という仁者仕える関雲長将軍という漢だ」と告げ、彼とともに胡家荘に行った外祖父の胡員外は、索童が関羽似ていないので疑うが、母の胡金定目印となる耳の後ろの瘤によって息子認知したそのとき太行山強盗胡家荘を襲った。花関索は父の残した甲冑、花帽に身をかため、武器をとり、賊の2人頭目、許抜山、趙拿戦い、これらを生け捕りにし、許抜山・趙拿兄弟分10人と合わせて12人の賊が皆、花関索帰順することになったその後、花関索母親である胡金定12人の部下およびその軍勢従えて員外別れ胡家荘を離れた。まだ見ぬ父、関羽尋ねて西川への旅に出た211年、興劉寨にいた関羽は、前夜見た夢について龐統諸葛亮占ってもらっていた。龐統は、「その日のうちに兄弟3人のうち誰か凶事あり」と占い諸葛亮逆に「3兄弟中に新し兄弟が加わる慶事あり」と占ったその日昼時、呉王孫配下の姚賓なる者が関羽投降した関羽喜んで姚賓と義兄弟になる。その夜に姚賓は関羽変装し関羽の馬(赤兎馬)を奪って逃走した翌朝、姚賓の裏切りを知った関羽劉備連絡しみんなで手分けして姚賓を追った一方、姚賓は花関索所へやって来て「私が関雲長である」と偽る。だが、一緒にいた母の胡金定見破られた。そこへ張飛現れ事の次第告げたその場逃げようとした姚賓だが、花関索殺された。胡金定から事情聞いた張飛は、花関索連れて先に関羽の許へ急いだ。この時、姚賓を追って西へ行った関羽は、曹操軍勢囲まれ苦戦していた。そこへ、張飛趙雲関平、花関索らが駆け付け曹操軍大敗した張飛は花関索関羽会わせるが、関羽は花関索の話を信じようとはしなかった。花関索は「曹操味方する」と怒ったが、張飛胡金定の話をすることで関羽はようやく納得し、花関索先程の言を詫び撤回した関羽が花関索胡金定劉備引き合わせ祝宴開いた

※この「『花関索伝』での登場」の解説は、「胡金定」の解説の一部です。
「『花関索伝』での登場」を含む「胡金定」の記事については、「胡金定」の概要を参照ください。

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