『ヤングレディ』裁判
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「私作る人、僕食べる人」の記事における「『ヤングレディ』裁判」の解説
週刊誌による揶揄や中傷に対して「行動を起こす女たちの会」は、標的を絞って抗議し論戦を挑むことにした。週刊誌の中には、男女平等を主張する女性を「充実した家庭もしらないアワレな人たち」と呼んだ『週刊文春』や、「女にニュースを読ませたら(中略)美人もいればブスもいるから男にとってはどちらも気になっちゃって、ニュースなんか頭に入りゃしなくなる」と書いた『週刊プレイボーイ』などもあったが、「行動を起こす女たちの会」はこうした低次元の記事では議論にならないと考え、『ヤングレディ』をターゲットに選んだ。これは、『ヤングレディ』が「”女らしい”が女性差別の言葉? ヒステリックですね…」の見出しの下に「でも本質からはずれているのでは?」と記していたことから、「男女平等の本質とは何か」を問うことができると考えたからであった。 「行動を起こす女たちの会」は、11月19日に『ヤングレディ』の編集長らと会い、記事作成の経緯の説明を受けたうえで、アクセス権(反論権)を主張して同会の反論を掲載する「同一誌面の提供」を要求した。1週間後に『ヤングレディ』側から拒否する回答が届いたため、「行動を起こす女たちの会」事務局の波田あい子が原告となり、12月25日に同誌の編集長と出版元の講談社を相手取って、名誉棄損として謝罪広告と慰謝料を求める訴訟を提起した。 裁判は、原告側と被告側それぞれ一人ずつの証人尋問を終えた1979年(昭和54年)3月に裁判長が和解を勧告した。両者で話し合いを続けた結果、同年12月12日に「同一誌面の提供」による和解が成立した。和解成立を受けて、「行動を起こす女たちの会」は「和解は、裁判所が女性差別問題に理解を示し、アクセス権を認めたものだ」、『ヤングレディ』の編集長は「訴訟から四年、双方が何回となく話し合ってきたが、裁判所の和解勧告もあり、お互いに合意に達した」とコメントした。 「行動を起こす女たちの会」が作成した「女たちが拓く<女の時代> 80年女はどう生きる」と題する記事は、『ヤングレディ』の1980年(昭和55年)1月22日号に掲載された。記事では、職場や家庭のあり方を変えようとしている6人の女性の生き方を取り上げ、「<男らしさ><女らしさ>は催眠術」のタイトルで伊丹十三・宮本信子夫妻による対談を掲載した。そして、4年に及んだ裁判と和解の経緯を振り返り、次のように記事を締めくくった。 この4年間、「男は外に、女は家庭に」という性別役割分担を見直そうという動きは広まり、マスコミに現れる女の生き方にも新しいイメージが加えられてきました。けれどもそれが「翔んでる女」に代表されるような、現実からかけ離れた特別の職業を持つファッション化された女像であることに不満を感じないわけにはいきません。 80年代は、ふつうの女たちがみな、もっと自由に自分の人生を生きられる時代にしたいと思います。ここに登場した6人の女たちは、職場や家庭など自分をとりかこむ現実をなんらかの形で変えようとしています。すでに自分の人生を、しなやかに、したたかに生きている女たちが、あなたのすぐそばに確実に増えていることを知ってほしいと願ってこの記事をつくりました。 — (国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会ヤングレディ裁判グループ)
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