『ヤングタウン』パーソナリティ時代
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「角淳一」の記事における「『ヤングタウン』パーソナリティ時代」の解説
『ヤンタン』には、1971年4月から1984年3月まで鶴光とのパートナーとして出演。出演期間中には、出演日を火曜日→金曜日(1973年10月以降)→木曜日(1976年4月以降)と変えながらも、鶴光とのど角・ど鶴(どすみ・どつる)コンビでリスナーに広く親しまれた。特に、木曜日時代初期に実施された在阪ラジオ局の聴取率調査では、調査対象の全局・全番組で2番目に高い聴取率(10%台)を記録している。ちなみに、「オオナベさん」の愛称で知られた同番組プロデューサーの渡邊一雄は、「(関西の落語家としては)孤高」とされる鶴光のパートナーに角を抜擢した理由として、「大阪生まれ」「真面目」「面白いことや音楽が大好き」「相手のことをよく理解したうえで、無理をせず相手のペースに合わせられること」を挙げていた。 木曜日時代の1981年には、当時共演していた歌手・石川優子の人気を高めようと、リスナーに向けて鶴光・渡辺高志(「コナベさん」と称する当時のディレクター)とともに「石川優子スター計画」というキャンペーンを展開。3月5日リリースの楽曲「シンデレラ・サマー」を、『ザ・ベストテン』(TBSテレビ制作・全国ネット)へのランクインにつなげた。ちなみに、石川が本番前の『ヤンタン』スタジオからの生中継で同番組に出演した際には、角・鶴光も石川のバックダンサーとして登場している。また同年には、他曜日に出演の島田紳助・明石家さんまが展開していたバンド活動への対抗意識から、自身をボーカルとして当時のディレクター陣(渡辺、三村景一、大谷武文、宇野幹雄)とともにバンドを結成。5月28日にSABホール(当時)で「ど角、ど鶴のええか、ええかコンサート」という有料のコンサートを開催した。さらに、当時の番組スポンサー・進研ゼミからの協力によって、「ええかええかのテーマ」というオリジナルの楽曲を世に送り出している。
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