『フォー・ザ・フォーレン』
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「ローレンス・ビニョン」の記事における「『フォー・ザ・フォーレン』」の解説
ウィキソースにFor the Fallenの原文があります。 詳細は「フォー・ザ・フォーレン」を参照 当時で言う「世界大戦」の開戦とイギリス海外派遣軍のあまりの死傷者数に心動かされ、ビニョンは1914年に詩『フォー・ザ・フォーレン』("Ode of Remembrance"はこの詩の第3-4連または第4連のみのことを指す)を書いた。そのとき彼は北部コーンウォール沿岸、ポルツェス(英語版)かポーツレス(英語版)の崖地帯に滞在していた。(どちらの場所にもこの詩の記念碑があるが、ビニョン自身はポルツェス(英語版)と1939年のインタビューで述べている。この混乱はポルツェス近くにポーツレス・ファーム(Porteath Farm)があることと関係しているかも知れない)この作品は9月、国民感情がつい先ごろのマルヌ会戦に揺れている頃にタイムズ誌に掲載された。 今日ではビニョンのもっとも有名な詩となった『フォー・ザ・フォーレン』には、イギリスのリメンバランス・サンデー(英語版)の礼拝でよく朗読される。オーストラリアとニュージーランドのANZACの日の礼拝やカナダの11月11日リメンバランス・デー礼拝では不可欠な要素となっている。こうして"Ode of Remembrance"は国を問わず戦傷者への賛歌としての座を得続けている。 They went with songs to the battle, they were young. Straight of limb, true of eyes, steady and aglow. They were staunch to the end against odds uncounted, They fell with their faces to the foe. They shall grow not old, as we that are left grow old: Age shall not weary them, nor the years condemn. At the going down of the sun and in the morning, We will remember them. They mingle not with their laughing comrades again; They sit no more at familiar tables of home; They have no lot in our labour of the day-time; They sleep beyond England's foam ("Ode to Remembrance"は詩『フォー・ザ・フォーレン』に全7連の中盤の3連で、前後にさらに2つの蓮がある。追悼礼拝で用いられる頌歌(The Ode)は、通例では前傾の中盤3連のみである。詩の全文はこちら) ビニョンの「フォー・ザ・フォーレン」を含む詩3作をサー・エドワード・エルガーは、最後の主要な管弦楽/声楽曲、「イングランドの精神(英語版)」として音楽化している。 1915年には、陸軍の志願年齢制限を超えていたにもかかわらず、ビニョンはフランス軍兵士のためのイギリスの病院、フランスのアルク・アン・バロワ臨時病院(英語版)に志願し、しばらくの間看護人として働いた。1916年夏にはイギリスに戻りヴェルダンの戦線から後送された兵士の看護に携わった。彼はこの経験をFor Dauntless France (1918)に記している。詩"Fetching the Wounded"と"The Distant Guns"はアルク・アン・バロワ(英語版)における病院勤務の経験より着想したものである。 2004年出版のCDオーディオブック『アーティスツ・ライフルズ (Artists Rifles)』には『フォー・ザ・フォーレン』のビニョン自身による朗読が収録されている。録音日時は不明で、日本にで78回転レコード盤で発売されたものである。このCDではジークフリード・サスーン(英語版)、エドマンド・ブランデン、ロバート・グレーヴス、デイヴィッド・ジョーンズ(英語版)、エッジェル・リックワード(英語版)を含む他の大戦詩人たちの声をも聞くことができる。
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