「青年将校」「小和田雅子」「競争原理」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 03:27 UTC 版)
「岡本行夫」の記事における「「青年将校」「小和田雅子」「競争原理」」の解説
外務省では、1990年の湾岸戦争の際に北米1課長として、米軍艦船の寄港を拒む港湾関係、中東への輸送を渋る航空会社と直談判。硬骨漢の外交官で「青年将校」とも呼ばれた。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}テレビ討論番組や新聞座談会で一緒に議論することが多く、同じ産経新聞の「正論」メンバーで一橋大の同窓生の吉崎達彦(双日総合研究所チーフエコノミスト)によると、岡本は「とにかく気さくで、一緒にいるだけで楽しくなる」人柄。一橋大の同窓会如水会の講演会で、外務省時代の岡本が講演で出張時のエピソードを披露。皇太子(現・天皇)の「お妃候補」報道が過熱していた頃で、オーストラリアの空港で日本人観光客の女性陣に囲まれた岡本が「はて、俺はそんなに有名人だったかな、と思ったら、彼らのお目当ては自分ではなくて、部下(後輩)の小和田雅子(現・皇后)だった」と“掴みのジョーク”で、聴衆を瞬時に難解な外交の話題に引き込んだ。硬軟併せ持つ岡本について、「発言することではなく、行動することが真骨頂の外交官」で「存在そのものが日本外交の重し」と分析している[信頼性要検証]。 なお、岡本は退官後の2002年には、「政治家には介入を許し、お金の遣い方はルーズ、そして特権意識過剰」な外務省について『いまこそ外務省に競争原理を導入せよ』と題して提言した。
※この「「青年将校」「小和田雅子」「競争原理」」の解説は、「岡本行夫」の解説の一部です。
「「青年将校」「小和田雅子」「競争原理」」を含む「岡本行夫」の記事については、「岡本行夫」の概要を参照ください。
- 「青年将校」「小和田雅子」「競争原理」のページへのリンク