「お妃候補」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 18:35 UTC 版)
1952年(昭和27年)に明仁親王(当時、のち第125代天皇、現上皇)が立太子を迎えて以降、1950年代には旧皇族の複数の少女たちが「お妃候補」であるとしてマスコミ取材を受けた。 うち北白川肇子は最有力者として、特に世間の注目を受けている(本人の項目を参照)。東宮侍従だった黒木従達によれば、実際に先例及び旧皇室典範に倣い、旧皇族(11宮家)及び五摂家から「お妃候補」を選定しようとしたが、血縁の近さや、遺伝性の病気の有無等がネックになり、結局誰も候補者が残らなかった。また黒木は、有力な候補者だった「元皇族令嬢」は近縁であることを理由に、早期に候補者から外していたとしている。 昭和末期、浩宮徳仁親王(当時、現今上天皇)が成年を迎えた1980年代以降、同様に「お妃候補」を巡る報道が過熱した。この時も、旧皇族の末裔にあたる女性たちが名指しで報じられていた。
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