「お助けボーイ」と呼ばれる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 00:25 UTC 版)
「トウショウボーイ」の記事における「「お助けボーイ」と呼ばれる」の解説
以降も毎年の産駒からGI競走、重賞競走勝利馬が続出。また重賞勝利に至らなくとも産駒は総じて高い勝ち上がり率を保ち、トウショウボーイは一転して人気種牡馬となった。「繁殖相手の質に関わらず、クズを出さない」トウショウボーイへの信頼は高く、奇形やサラ系でない限り牡馬は最低3000万円以上、牝馬は1500万円以上の価格が付けられた。一方、組合の内規で種付け料は低価格に抑えられ、最高でも350万円(1992年)までに留まった。このため、審査さえ通れば中小生産者でも気兼ねなく種付けすることができ、トウショウボーイ産駒誕生で破産を免れた牧場も数々存在したため、種牡馬としての最盛期には「トウショウボーイの牡馬が1頭生まれれば、牧場の借金を返せる」と言われた。また受胎率についても、1988年度は64頭に種付けを行って受胎されなかったのは2頭だけと高い数値を示した。これらの事実から、トウショウボーイは中小生産者の間で「お助けボーイ」との渾名で呼ばれ、「神様より尊い存在」とされた。またトウショウボーイ産駒の牡馬には1986年からセリ市への出品が義務付けられたが、3億6050万円が付けられたサンゼウス、2億6500万円のモガミショーウンを筆頭に、数々の産駒が高額で落札され、取引仲介料が日高軽種馬農協の貴重な財源となった。 1960年代のシンザン、ダイコーター、タケシバオー、1970年代前半のアローエクスプレス、ハイセイコーと、徐々に見直されてきた内国産種牡馬への評価は、トウショウボーイの活躍に至り輸入種牡馬に劣るものではないと確認された。以後父内国産馬蔑視の風潮は払拭され、優秀な競走成績を残した馬には高額のシンジケートが組まれ、最初から充分な活躍機会を与えられる馬が増加した。最終的に産駒のJRA重賞勝利数は、国産種牡馬としてはシンザン(49勝)に次ぐ43勝に達した。
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