「青帳(kök orda)」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 08:32 UTC 版)
「ジョチ・ウルスの両翼体制」の記事における「「青帳(kök orda)」」の解説
先述したように、「青帳」はジョチの死後にオルダを中心とする4人の兄弟が形成した、ジョチ・ウルス左翼=オルダ・ウルスを指す名称であると考えられている。 「青帳」に関する記述は「白帳」に比べて少なく、前述の『ムイーン史選』や『チンギズ・ナーマ』を除けばロシア年代記で2度言及されているに過ぎない。1度目はロシア暦6885年(1377年)、ピャナ河の戦いの直前に「青帳(Синяя Орда)からアラブシャーという王子がヴォルガのママイ・オルダの下に来た」と記す『ニコン年代記』第11巻の記述。2度目は1395年にティムールがキプチャク草原に侵攻してきた時のことを記す中で、ティムルールが「東方、青帳」からやってきたと記される。なお、ルーシ諸公国にとって「青帳」はヴォルガ川の先にある勢力という認識があったようで、「ヤイク川(ヴォルガ川)の向こうのオルダ」という表現もみられる。
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