「白帳(aq orda)」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 08:32 UTC 版)
「ジョチ・ウルスの両翼体制」の記事における「「白帳(aq orda)」」の解説
前述したように、「白帳」はジョチの死後にオルダ・ウルスを形成した5人の王子を除く、残りの王子たちがバトゥを長として形成したウルスを指す名称であると考えられている。ただし、左翼=オルダ・ウルスと違って「右翼」に属する王子たちの名前が具体的に挙げられているわけではないため、「白帳」が最初から「右翼」の呼称であったかについては議論がある。 「青帳」に比べ、「白帳」に言及する史料は多いが、その中でも詩人のクトゥブがティーニー・ベク・ハンの妃に捧げた詩(『ホスローとシーリーン』)の中でバトゥ・ウルスを指して「白帳(aq orda)」と呼称するのが最も古い用例である。ルーシ年代記おける言及は青帳に比べて遅く、 後述するトクタミシュの勅令の訳を除けば『ウスチュグ年代記』の1481年條に「アフマト帝の白帳(Бeлaя Бeжa)」とあるのが初出とされる。 また、『チンギズ・ナーマ』には先述したように「金の入口の白い天幕」という表現もあり、「金帳」と「白帳」という呼称が密接な関係を有していたことが示唆される。また、トクタミシュがポーランド大公に出した勅令はウイグル文字テュルク語で書かれた原文とロシア語訳が残っているが、テュルク語原文で「大(ウルグ)ウルス」と記される箇所が、「白帳(Бeлaя Орда)」と訳されており、これがロシア語による表記としてはこれが最も古い例になる。これらの用例から、「白帳」はバトゥ・ウルスもしくはジョチ・ウルス全体を指す用語として用いられていたと考えられる。
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