帳(オルダ)の色
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 08:32 UTC 版)
「ジョチ・ウルスの両翼体制」の記事における「帳(オルダ)の色」の解説
ジョチ・ウルスの両翼を「白帳」「青帳」と呼ぶ史書で最も有名なのがティムール朝で編纂された『ムイーン史選』で、この史書はトクタ・ハンの時代以降にジョチ・ウルスが左右両翼に分かれ、東部=左翼の「白帳」をノガイの子孫が、西部=右翼の「青帳」をトクタ・ハンの子孫が、それぞれ治めたとする。しかし、『ムイーン史選』は君主の系譜について誤りが多く、その内容をそのまま鵜呑みにはできいことが指摘されている。代わって、近年注目されているのが『チンギズ・ナーマ』の記述で、この史書はチンギス・カンが「金の入口の白い天幕をサイン・ハン(=バトゥ)のために、銀の入口の青い天幕をエジェン(=オルダ)のために、鉄の入口の灰色の天幕をシバンのために建てた」という逸話を伝えている。この逸話自体は史実とは認めがたいものの、『チンギズ・ナーマ』がジョチ家の末裔が治めるヒヴァ・ハン国で編纂されていることから、王家と色の関係については正確な認識を伝えているものと考えられている。 古くは『ムイーン史選』の記述に基づいて「左翼=白帳」、「右翼=青帳」とみなす説が主流であったが、現在では『チンギズ・ナーマ』やその他の史料に基づいて「左翼=青帳」、「右翼=白帳」とみなす説が一般的である。
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