帳合米
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 00:44 UTC 版)
帳合米は、実際に正米の受け渡しは行なわれずに、帳簿の上の差金の授受によって決済売買された。少なくとも元禄年間には行なわれていた。ただしこれは不正売買であるとして禁止されていたのであって、享保年間、米価引き上げの一策として許されたものである。帳合米商は、1年を3季に分けて、第1季は1月8日から4月27日まで、第2季は5月7日から10月8日まで、第3季は10月17日から12月23日までとし、これを「三季商」といって、1季の最終日は「限市」(きりいち)といった。 帳合米商において即日売買を解除して一杯(いっぱい)になる日を「日計」(ひばかり)といって、夜越(よごし)となるのを「立米」といい、立米はその季の限市前3日間にいままでの売買を解除しなければならなかった。したがって3季とも限市前3日間を「仕舞寄商」(しまいよせあきない)あるいは「立埋一条」といって、新規の売買を許さず、もっぱら売埋(うりうめ)、買埋(かいうめ)をさせた。これは後の米相場とは異なる点である。もしも売埋、買埋を忘れて米が残るなどした場合にはこれは「間違米」といって正米、正銀で授受する。 市場で売買する米、いわば標準米を「建物米」という。これは筑前、周防、長門、広島の四蔵米のうち1を入札で選定し、第1季と第3季との建物米には四蔵米のうち1を建物米にし、第2季の建物米は入札せず、いつでも加州米を建物米にした。これは享保年間、堂島の仲買が江戸表に出府したが、費用不足で加州家から金を融通してもらったその報恩であるという。 帳合米の売買の石高は100石が最小額であった。正米商と同じように仲買の思惑によって、あるいは客方の注文によって売買し、客方の注文には問屋は100石あたり5匁ないし2匁5分の日銭を徴した。売買の開始は正米商と同時で、正引すなわち正米商の引方とともに一時売買を中止する。これを「消」という。日が短い、あるいは相場に乱高下があるときは火縄まで消えないことがある。八ツ時過、水方役がそろって寄場に出て2寸余の火縄に火を点け、箱に入れて、寄場の規則が書かれた看板の下の格子に掛けてその周囲を保護して、合図の拍子木を打って売買を再び開始し、火縄の消えた時また拍子木を打ってこれを報じる。このときの値段を「火縄値段」あるいは「大引値段」といって、最も大切な値段として町奉行に上申する。 x月x日の帳合米値段とはこの火縄値段をいう。火縄が消えれば、場に集まった仲買は退き散るのが当然であるが、なおも売買を続ける者もあって、そのときは水方役が水を撒き追い散らした。水方役という名称の由縁である。これには一番水、二番水、三番水があって、三番水の時の値段を「桶伏値段」といって相場触に記入された。
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