「白玉之塔」
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1947年3月27日、豪雨の夜から翌日にかけ、渡嘉敷の集団自決で329人が亡くなった。6年後の1951年3月28日、現場となった北山 (ニシヤマ) で、慰霊碑「白玉之塔」の除幕式と合同慰霊祭が行われた。その9年後、1960年3月22日、慰霊碑と現場が米軍ミサイル用地として接収された。集団自決の現場周辺はミサイル基地として造成され、慰霊の「白玉之塔」は、移築されることなく、1962年4月19日に、ふもとのギズ山に新しく建立された。海上挺進第3戦隊 (隊長: 赤松嘉次) が防衛隊員や駐在員らを介し住民の集団自決に関与したことを明記した旧「白玉之塔」の碑文は、新しく移設されたギズ山の新「白玉之塔」には記されなかった。
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