「道奥国」設置と当時の領域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 05:06 UTC 版)
「陸奥国」の記事における「「道奥国」設置と当時の領域」の解説
初め道奥(みちのおく)といい、『常陸国風土記』には孝徳天皇在位の末年(654年)に、足柄峠の東方に常陸国を始め8国を置いたとの記述があり、この8国の中に道奥が含まれると解されている。現在の東北地方のうち徐々に律令国家日本に編入された地域、すなわち宮城県松島以南までの広大な領域を暫定的に含む辺境の大国であった。 常陸国から分離される形で成立し、以後、平安時代まで陸奥(みちのく)と呼ばれた。7世紀の設置時の範囲は、およそ現在の宮城県の中南部、山形県の内陸部、福島県のほぼ全域、茨城県の北西部に相当し、内陸盆地のみならず、阿武隈高地以東に位置する太平洋沿岸である福島県浜通り(旧磐前県)や宮城県沿岸部も含まれていた。 宮城県域 : 松島丘陵以南の全域仙南平野(仙台平野の南半分) 阿武隈川流域の盆地群(刈田郡と伊具郡) 山形県域 : 内陸部(奥羽山脈の西側盆地群の全て)最上地方(新庄盆地。当時の最上郡。9世紀に分割されて村山郡となる) 村山地方(山形盆地。当時の最上郡。太閤検地以降村山郡と郡名が入れ替えとなる) 置賜地方(米沢盆地。当時の置賜郡) 福島県域 : 東南の隅の菊多郡(現在のいわき市南部)を除いた全域。中通り 会津地方 浜通り 茨城県域 : 内陸部久慈川の上流域(久慈郡大子町全域茨城県大子町と常陸大宮市諸沢・西野内・北富田。依上郷を経て依上保と呼ばれる区域 ) 6世紀までに存在した陸奥の国造は、道奥菊多国造(のちの菊多郡に相当)、石城国造(磐城郡)、染羽国造(締葉郡)、浮田国造(宇多郡)、思国造(思太の誤りか)、白河国造(白河郡)石背国造(磐瀬郡)、阿尺国造(安積郡)、信夫国造(信夫郡)、伊久国造(伊具郡)の10国造であり、いずれも成務朝から応神朝に神別氏族が派遣されて設置されたと見える(「国造本紀」)。孝徳朝の後半に第二次の使者が派遣されて、国造制が評制へと変わり、道奥国(みちのおくくに)が設けられた。
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