「渡米雑誌」への変貌とは? わかりやすく解説

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「渡米雑誌」への変貌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 05:09 UTC 版)

労働世界」の記事における「「渡米雑誌」への変貌」の解説

「社会主義」1904年12月3日8巻14号まで社会主義協会機関誌として刊行されその後1905年1月3日発行9巻1号から「渡米雑誌」に改題された(月刊B5版)。この背景には、「社会主義」への弾圧避け目的と、運動の中心が「平民新聞」に移ったことから「社会主義」読者層一変したという事情が存在した片山論考山根編集移ってからも載り続けていたが、他の社会主義者寄稿徐々に減り次第に「渡米協会に関する記事誌面埋めるようになっていたのである。ただし、改題後英題は「The Socialist」、発行所労働新聞社のままとした。1906年中には「社会主義」面影残していた「世界動静廃止され社会主義要素としてはわずかに片山らの著作広告社会主義者消息載せられるのみとなった1906年に「渡米協会会長」である片山一時帰国すると、山根は「渡米雑誌」と片山絶縁誌上表明編集部キングスレー館から退去し新たに渡米雑誌社」と名乗ったほか、「渡米協会」も分裂設立した最終的に内容から社会主義色は取り払われ内務省警保局調査でも「社会主義機関脱した」として監視対象から外された。 その後1907年6月10巻10号から増本河南主筆迎えたまた、新たに日米協会」を設立し文庫回覧慰問結婚紹介などの事業行った1907年11巻1号から「亜米利加」に改題し社名も「亜米利加社」となっている。総合アメリカ情報誌としての内実充実させ、セオドア・ルーズベルト称揚小説掲載職業紹介などの新機軸がとられた。日本社会党の「日刊平民新聞」が創刊された際には、「金儲けしたき人は読べし」(ママ)という広告出稿している。1907年3月号から「日米通信増刊号の形をとり、1908年5月まで刊行された。また、渡米協会」の媒体社会新聞や、片山主筆とする雑誌渡米」などに引き継がれた。

※この「「渡米雑誌」への変貌」の解説は、「労働世界」の解説の一部です。
「「渡米雑誌」への変貌」を含む「労働世界」の記事については、「労働世界」の概要を参照ください。

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