「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 18:15 UTC 版)
「セルジオ・レオーネ」の記事における「「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」」の解説
ハリウッド製西部劇を模倣したマカロニ・ウェスタンで名声を得たレオーネであったが、「ドル箱三部作」を完成させた後、本格的にアメリカに招待され、そこで西部劇を製作することになる。『続・夕陽のガンマン』で出資を行ったユナイトから持ちかけられたグレゴリー・ペックやカーク・ダグラスたちが出演する大作西部劇製作の企画を断り、レオーネは1968年にパラマウントで『ウエスタン』を撮った。この作品は自身の愛する西部劇に対する挽歌であり、これまでもオファーを迫ったことのあるチャールズ・ブロンソンやヘンリー・フォンダをはじめ、多数のハリウッドスターを出演させた野心作である。『ウエスタン』はレオーネらしいドラマ性、叙情性が遺憾なく発揮され、フランスや日本では成功を収めた。アメリカでは公開当時こそヒットしなかったものの、1970年代に入って批評家や映画監督たちに再評価された。現在ではIMDbのランキングで上位に入る人気作品になっている。 1971年には再びユナイトの下で、ロッド・スタイガー、ジェームズ・コバーン主演の大作映画『夕陽のギャングたち』を製作する。当初レオーネは監督をピーター・ボグダノヴィッチか長年レオーネ映画で助監督を務めてきたジャンカルロ・サンティに任せ、映画のプロデュースのみを担当するはずだった。しかし出演俳優たちがレオーネが監督でなければ降板すると言い張ったため、やむを得ず監督を引き受けたという。革命劇の中に西部劇の要素も含め、時代の流れに翻弄されながらお互いの友情を育んでいく2人の男の出会いと別れが描かれた本作は、豪快な見せ場と人間ドラマを活写した作品に仕上がった。 その後、レオーネはトニーノ・ヴァレリが監督したマカロニ・ウェスタンのパロディ映画『ミスター・ノーボディ』(1973年)のプロデュースや、イタリア車のCMなどを監督するが、本格的な監督業からはしばらく遠ざかっていた(一説には『ミスター・ノーボディ』のアクションパートはレオーネが監督したとも言われる)。1984年に10年以上の沈黙を破ってロバート・デ・ニーロ、ジェームズ・ウッズ主演のギャング映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』を公開する。この映画はレオーネが長らく憧れていたアメリカに対するオマージュであり、『ウエスタン』から始まる「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」の掉尾を飾る作品である(実際、制作開始当初は主演にヘンリー・フォンダが予定されていたが、亡くなったため実現しなかった)。公開当初は、あまりの長大さに映画会社が公開に難色を示し(オリジナル版は205分)、アメリカを始め多くの国では再編集短縮版(139分)が公開されたため、酷評された。しかし、日本やヨーロッパの一部の国ではオリジナル版がそのまま公開され高い評価を得る。その後、レオーネ自身による再編集完全版(229分)が公開され、ギャング映画の古典としての評価を確立する。
※この「「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」」の解説は、「セルジオ・レオーネ」の解説の一部です。
「「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」」を含む「セルジオ・レオーネ」の記事については、「セルジオ・レオーネ」の概要を参照ください。
- 「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」のページへのリンク