「ワッパ」騒動の名前の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 04:20 UTC 版)
「ワッパ騒動」の記事における「「ワッパ」騒動の名前の由来」の解説
明治新政府は1872年(明治5年)本年貢や雑税の石代納を許可したが、酒田県(第2次)は農民に米を納めさせ、御用商人が売却して政府に金を上納する仕組みを採っていた。当時、米の値段は高騰していたため、県では米取引を通じかなりの利潤を得ていた。取り上げられた年貢米と利潤の間にある差額分の過納金を取り戻せば、ワッパ(曲げわっぱ)で分配するほどの金が戻るはずだというところから、その呼称をされるようになったという説が現時点(平成23年)では有力とされる。
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