「ワルツ合戦」の開始
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「ヨーゼフ・ランナー」の記事における「「ワルツ合戦」の開始」の解説
やがてランナーの楽団は、かつての師パーマーの楽団を超える絶大な人気を獲得した。出演依頼に応じきれなくなったため、ランナーは楽団を二つに分けて片方をシュトラウスに指揮させた。するとウィーン市民の人気は、ランナーではなくシュトラウスのほうに集まるようになり、仲のよかった両者の間に暗雲が垂れ込め始めた。シュトラウスは恋をし、相手の女性と結婚するために昇給をランナーに願ったが、ランナーはそれを許さなかった。またランナーはシュトラウスの作曲したワルツを買い取り、自分の作品として公刊した。このようにまったく根拠が無かったわけではないが、シュトラウスの曲をランナーが盗作したとの噂が立つようになった。 両者の対立が決定的となったのは、1828年にウィーン郊外の舞踏場ボックで演奏を行った時である。ランナーとシュトラウスは揃って演奏したが、どういうわけか激しい口喧嘩が始まり、やがてヴァイオリンの弓や譜面台や太鼓のばちが空中を飛び交うありさまとなったという。 こうしてふたりの関係は完全にこじれたとされるが、現場目撃者の記録は存在せず、実際には乱闘事件はなかったとみる向きもある。ランナーはシュトラウスの自立に際して『訣別のワルツ』を作曲しているが、これは喧嘩別れをテーマにしたものではなく、シュトラウスの門出にあたって彼に贈ったものとも言われる。また、その翌年にランナーとシュトラウスは、かつての雇い主パーマーのために慈善コンサートを一緒に開いている。 いずれにせよ、こうしてシュトラウスとは競合関係になり、世に「ワルツ合戦」と呼ばれる熾烈な競争を繰り広げることとなった。ふたりは訣別から3年後の1831年に仲直りをしたが、かつてのような心を開きあった交際に戻ることはできなかったとされる。
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