「ドイツ物理学」と反ユダヤ主義
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「フィリップ・レーナルト」の記事における「「ドイツ物理学」と反ユダヤ主義」の解説
レーナルトは研究の業績のほかに、いくつかの行動によって悪名を残している。レントゲンがX線の発見に際してレーナルト管を用いたのに、レーナルトの名を引用しなかったことに激しく怒った。 レーナルトはドイツ・ナショナリズムの熱心な信奉者としても記憶されており、ドイツからアイデアを盗んだとしてイギリスの物理学を軽蔑していた。また、電流の単位としてフランスの物理学者アンドレ=マリ・アンペールに因んだアンペアを用いることを気に入らず、その代わりにドイツの物理学者ヴィルヘルム・ヴェーバーの名を用いるよう指示し、ハイデルベルクの研究所にある全ての機器の単位をヴェーバーに書き換えさせたというエピソードが残る(なお、ヴィルヘルム・ヴェーバーに因んだ「ウェーバ」は磁束の単位である)。早くから国家社会主義ドイツ労働者党の党員になっており、ナチス・ドイツ時代には非科学的な「ドイツ物理学(ドイツ語版、英語版)」を提唱し、「ユダヤ物理学」は人を惑わす間違った学問だとして無視した。これは主にアルベルト・アインシュタインの相対性理論を指しての言である。アドルフ・ヒトラーの科学顧問として、ナチスのドイツ物理学部門の代表となった。 1933年に出版した "Great Men in science, a History of scientific progress"(科学の偉人たち 科学発展の歴史)から、科学者たちについてのレーナルトの見方がうかがえる。なお、この本は エドワード・アンドレード の序文付きで英訳され、第二次世界大戦後も世界各地の大学で広く読まれた。レーナルトがアインシュタインやキュリーをその本に含めなかった点について、Andrade は「この作者のような個性の強い人は、個人的判断を強く主張する傾向がある」と注記している。1954年の英語版のページ xix には次のような出版社による注記がある。 レーナルト教授の科学の先人たちについての研究は、深い知識と見事なバランスを示しているが、彼の同時代の科学者については個人的偏見に判断を動かされる傾向があった。彼が存命だったなら、最近の研究に基づいた改訂に同意しなかっただろう。 レーナルトは1931年、ハイデルベルク大学の理論物理学教授職を引退した。その後は名誉教授となったが、1945年に連合国に占領されると、その職を追われた。1947年、メッセルハウゼンで死去。
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