《共感性羞恥心》の正しい読み方
「共感性羞恥心」の正しい読み方
「共感性羞恥心」は「きょうかんせいしゅうちしん」と読む。「共感性」と「羞恥心」という2つの言葉が組み合わさっている形だ。「共感性」も「羞恥心」もいずれも一般的に通じる言葉であり、読み方も広く浸透している。そして、他に間違ってしまうような読み方はない。「羞恥」が「しゅうち」だと知ってさえいれば、「きょうかんせいしゅうちしん」と読めるだろう。「共感性羞恥心」の意味解説
他人が恥をかいていたり、怒られたりしている様子を見て、自分も恥ずかしくなったり辛い思いをしたりする人がいる。その際に抱く感情が、「共感性羞恥心」である。共感性羞恥心を抱くかどうかは人それぞれだが、共感性羞恥心そのものは、特に異常というわけではない。恥ずかしさの度合いこそ違うものの、誰にでも共感性羞恥心が発生する可能性はある。そして、共感性羞恥心を抱く理由は色々考えられ、他人に感情移入してしまいやすい性格や、他者が恥をかく心理を具体的にイメージしてしまう想像力の豊かさなどが代表的だ。また、自分が過去に恥ずかしい思いをしたという経験を持っている人は、他者がその経験と同じ状況に置かれていると、共感性羞恥心を抱きやすい。なぜ「共感性羞恥心」と読むのか・理由
「共感性羞恥心」を「きょうかんせいしゅうちしん」と読む理由は、全てを音読みで統一するためである。日本では漢字を用いた熟語は、一部の例外を除いて音読みで読む形となっている。そして、「共感性羞恥心」は例外ではない。「共感性羞恥心」の類語・用例・例文
「共感性羞恥心」の例文は、「これからのドラマの展開で共感性羞恥心を抱きそうなので、テレビを消した」「幼児的万能感を振りかざして熱く語る少年を見た時、自分の過去を思い出して共感性羞恥心が生まれてしまった」となる。また、「彼が赤面しているのは、おそらく共感性羞恥心によるものだろう」という風に、他人の様子を表現する際に使用することもある。そして、日本語には、「共感性羞恥心」と同義となる言葉はない。「共感性羞恥心」は比較的新しい言葉であり、「共感性羞恥心」が登場するまで、他人の恥に共感してしまう感情を、簡潔に表現する術はなかった。そこに「共感性羞恥心」という言葉が現れたことによって、適格に言語化できるようになったという経緯がある。したがって、「共感性羞恥心」を別の言葉で言い換えるのであれば、「他人が恥をかく様子を見た時に抱く、いたたまれない恥ずかしさ」という、説明文のような形となる。「共感性羞恥心」の英語用例・例文
「共感性羞恥心」を英語で表現すると、「empathic embarrassment」となる。「empathic」が「共感性」、「embarrassment」が「羞恥心」である。実際に使用すると「I blushed because of empathic embarrassment(共感性羞恥心によって赤面してしまった)」となる。また、「empathic」の代わりに「vicarious(身代わりの)」を用いて、「vicarious embarrassment」と表現することも可能である。- 《共感性羞恥心》の正しい読み方のページへのリンク