神武天皇 初代天皇としての視点

神武天皇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 10:18 UTC 版)

初代天皇としての視点

後陽成天皇は「神武天皇より百数代の末孫」と自認しそのことを明記した。その奥書を国立歴史民俗博物館の小倉慈司氏が近年発見し、近代以前の天皇にも神武天皇を初代天皇とみなしていた意識があったという事実が明らかになった[16]

光格天皇も「百二十代」(石清水、賀茂社再興を願う「御趣意書」)や、「神武百二十世兼仁合掌三礼」(「光格天皇宸翰南無阿弥陀仏」奥書、宮内庁蔵)という署名を残している[17]

孝明天皇も異国船襲来という国体の危機の中にあって、幕府に命じて神武山陵を整備させ神武天皇祭を制定した[18]

明治天皇は神武天皇祭を継承し、明治十年の紀元節(二月十一日)には神武天皇陵に行幸し参拝した。儀仗兵が整列するなか御拝され、御告文を奏されたという[19]

考証

歴史的位置づけについて

神武天皇が即位したという辛酉の歳はそのまま西暦に換算すると紀元前660年であり、同時に弥生時代早期又は縄文時代末期に当たる。

明治時代の歴史学者である那珂通世は、1897年の著書『上世年紀考』にて『日本書紀』の記述を批判し、「記紀の紀年は、古代中国由来の、「辛酉」の年に天命が改まり、王朝が代わり、同時に正しい改革も行われる、特に21回毎に大革命が起こるとする「辛酉革命説」に基づく記紀編者の創作であろう」と論考した。その上で那珂は「推古天皇治世の最も輝かしい事跡が601年の辛酉にあったことから、その21回前の辛酉、つまり紀元601年からさらに60×21=1260年遡った紀元前660年あたりを神武即位年にしたのだろう」と推測した。

大正時代には津田左右吉は記紀の成立過程に関して本格的な文献批判を行い、神話学民俗学の成果を援用しつつ「神武天皇は弥生時代の何らかの事実を反映したものではなく、主として皇室による日本の統治に対して「正統性」を付与する意図をもって編纂された日本神話の一部として理解すべきである」とした。このため津田は「皇室の尊厳を冒瀆した」とし、出版法違反で起訴され、有罪判決を受けた(津田事件)。

津田の説に対する反論も存在し、神武の実在性を主張する論者もいる。安本美典は神武東征を邪馬台国の東遷(邪馬台国政権が九州から畿内へ移動したという説)であるとする。古田武彦も神武天皇の実在を主張するが、神武天皇が開いた大和朝廷を邪馬壱国/九州王朝の分家だとしている。田中卓は初期天皇の皇后の出自伝承の素朴さが寧ろ帝系譜の信憑性を高めるとしている[20]宝賀寿男は記紀が古代の地理事情を残している点や、古代氏族の系図やトーテム・習俗、年暦に関する研究から天照大神から神武天皇までの皇統譜を実在の物とした[21]。田中や宝賀、古田は神武東征の出発地を北部九州とする点で安本や戦前の通説とは異なる。久保田穰は初期天皇の実在を直接示唆するのは記紀であるが、同時期の万葉集風土記、その他史書や各種系図・神社伝承などが記紀の内容を支持するとした[22]。志賀剛は神武天皇の実在を認めつつ、宇陀郡出身の人物として想定し、東征の前半部分を虚構とする[23]武光誠は西方文化集団の畿内への到来と銅鐸消滅時期が一致する事から神武天皇的な存在を認めている[24]。神話学者の松前健も神武伝承には実際の具体的な諸国の地名や氏族の名が多数出てきて全くの机上の作り話とは考えられないとし、壬申の乱天武大海人皇子が神武山陵に祈った記事からして、それ以前から神武伝承が知られていたであろうことを指摘している[25]

現在神武天皇の史学的立ち位置は「神武天皇の史的実在は、これを確認することも困難であるが、これを否認することも、より以上に困難なのである」であるとされる[26]

ギネス世界記録では神武天皇の伝承を元に皇室を「現存する世界最古の王朝(英:dynasty)」としているが、発行物には「現実的には4世紀」と記載している。[27] 実在が確実な雄略天皇から数えても現存する王朝としては世界最古に当たる。

即位年月日について

神武天皇の即位年月日は『日本書紀』の記述に基づき、明治期に法的・慣習的に紀元前660年の旧暦元旦、新暦の2月11日とされている。

日本書紀』においては年月日は全て干支で記している。神武天皇の即位年月日は辛酉年春正月庚辰とある。

太陽暦(グレゴリオ暦)が明治6年(1873年)1月1日 から暦として採用されたが、それに先立ち、紀元節旧暦である天保暦の正月(旧正月)とはならないようにするため、神武天皇即位の日である紀元節を太陽暦(グレゴリオ暦)の特定の日付に固定する必要が生まれた。文部省天文局が算出し、暦学者の塚本明毅が審査して2月11日という日付を決定した。具体的な計算方法は明かにされていないが、当時の説明では「干支に相より簡法相立て」としている。

神武天皇の即位年は『日本書紀』の歴代天皇在位年数を元に逆算[注 6]すると西暦紀元前660年に相当し、即位月は「春正月」である事から立春の前後であり、即位日の干支は「庚辰」である。そこで西暦紀元前660年の立春に最も近い「庚辰」の日を探すと西暦では2月11日と特定される。その前後では前年12月13日と同年4月12日も庚辰の日であるが、これらは「春正月」になり得ない。従って「辛酉年春正月庚辰」は紀元前660年2月11日以外には考えられない。またこの日を以って神武天皇即位紀元(皇紀)元年とする暦が主に明治・大正期から終戦(1868年 - 1945年)まで用いられた。

『日本書紀』は「庚辰」が新月日)であったとも記載しているが、朔は暦法に依存しており「簡法」では計算できないため、明治政府による計算では考慮されなかったと考えられる。当時の月齢を天文知識に基づいて計算すると、この日[注 7]は天文上のに当たる。

脚注


注釈

  1. ^ a b c 日本書紀』の記載から換算すれば、ユリウス暦紀元前711年2月13日となる。
  2. ^ 実在していたかどうか様々な説があるが、実在しない伝説上の人物であるとする説が一般であり、通説である。
  3. ^ 神武天皇自身は瓊瓊杵尊を「天祖」と呼び、『日本書紀』は神代下の冒頭で高皇産霊尊を「皇祖」と記している。
  4. ^ 初代天皇の立太子は明らかに不合理であるが、父の彦波瀲武鸕鶿草葺不合命を天皇に準じて扱ったとも見られる。父がいつ崩御したかの記述は無いが、東征開始時に父を「皇考」(亡父の意)と呼んでおり、これ以前に崩じたと見られる。
  5. ^ 日本書紀』の記載から換算すれば、紀元前697年となる。
  6. ^ 干支年は、後漢建武26年(50年)に三統暦の超辰法をやめ(元和2年に正式改暦)以降は60の周期で単純に繰り返している。
  7. ^ 天文学上の記法では-659年2月18日、ユリウス通日は1480407となる。

出典

  1. ^ a b c d 本朝皇胤紹運録』。
  2. ^ a b c 日本書紀』による。
  3. ^ (井上 1973)P275
  4. ^ 上田正昭 「諡」『日本古代史大辞典』 大和書房、2006年。
  5. ^ 『日本書紀(一)』岩波書店 ISBN 9784003000410
  6. ^ 畝傍橿原宮(国史).
  7. ^ 「生命の教育」 平成8年5月号、季刊『生きる知恵』第9号「科学的根拠のある神武天皇伝説」東神会出版室
  8. ^ 樋口清之「日本古典の信憑性-神武天皇紀と考古学」『現代神道研究集成9巻』 神社新報社 1998年
  9. ^ a b 陵墓の治定と祭祀に関する第三回質問主意書”. 衆議院 (2010年11月30日). 2018年9月1日閲覧。
  10. ^ 『陵墓地形図集成 縮小版』 宮内庁書陵部陵墓課編、学生社、2014年、p. 400。
  11. ^ 天皇陵(宮内庁)。
  12. ^ 宮内省諸陵寮編『陵墓要覧』(1934年、国立国会図書館デジタルコレクション)8コマ。
  13. ^ 畝傍山東北陵(国史).
  14. ^ 日本書紀』、巻第28
  15. ^ 真実からやっと神話へ『朝日新聞』1976年(昭和51年)3月1日朝刊、11版、9面
  16. ^ 「神武天皇論」国書刊行会 2020-6
  17. ^ 藤田覚「幕末の天皇」講談社学術文庫 2013 85、86頁
  18. ^ 武田秀章「維新期天皇祭祀の研究」大明堂 平成8年 52‐84頁
  19. ^ 清水潔「神武天皇論」国書刊行会 令和2年 301頁
  20. ^ 田中卓『日本国家の成立』1992年。
  21. ^ 宝賀寿男『「神武東征」の原像』青垣出版、2006年。
  22. ^ 久保田穰『古代史における論理と空想 邪馬台国のことなど』大和書房、1992年。
  23. ^ 志賀剛「大和朝廷の起源と発生」『日本の神々と建国神話』雄山閣出版、1991。
  24. ^ 武光誠『日本誕生』、1991年。
  25. ^ 松前健「古代王権の神話学」雄山閣 2003 183頁
  26. ^ 国史大辞典』吉川弘文出版。
  27. ^ Oldest ruling house”. ギネス世界記録. 2021年6月26日閲覧。






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