尾崎豊 略歴

尾崎豊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/14 03:07 UTC 版)

略歴

生前、活動期の詳しい経歴はHeart Of Klaxonも参照。

注釈

  1. ^ 尾崎の所属事務所『マザー・エンタープライズ』およびレーベル『MOTHER&CHILDREN』の社長。
  2. ^ 当時、1ヶ月にも及んで、民放のみならずNHKも含めたテレビ各局は連日のように尾崎の特集を組んだ。
  3. ^ 月給は2万円で、尾崎の担当区域は180部だった[16]
  4. ^ 実際に当時は「卒業」の歌詞に影響されて、学校の校舎の窓ガラスを割るといった事件が発生した[27]
  5. ^ 参列者数は3万8000人、4万人、5万人、5万3000人などと言われている。
  6. ^ それぞれ、美空ひばり、忌野清志郎の追悼式は4万2000人、坂井泉水の追悼式は4万100人、吉田茂の国葬は4万人という規模であった[41]
  7. ^ 防犯上、警備上の理由のため、実際にはこの墓地には尾崎の遺骨は納骨されていない。
  8. ^ 尾崎豊の父が躰道の前身である玄制流空手を習っていた影響も受けている。
  9. ^ のちに、Mr.Childrenらを生んだ小林武史が優勝している。
  10. ^ a b ファーストアルバム『十七歳の地図』に収録されている『街の風景』の原曲。
  11. ^ 原宿音楽祭での「町の風景」は平成21年(2009年)3月30日に放送されたTBSラジオのラジオ番組「kakiiin尾崎豊」にて公開されている。
  12. ^ 十七歳の地図」の原曲。尾崎がつけたタイトルは「野良犬の道」。
  13. ^ オーディションは前日の10月10日に行われたが、尾崎はオーディションを受けなかった。翌日、CBSソニーのプロデューサーである丸沢和宏に説得され、オーディションを受けた[46]
  14. ^ 正確には「Scrambling Rock'n'Roll」の間奏中。
  15. ^ その後もなんとかスタッフに支えられステージに這いつくばりながらセットリストのすべての曲を歌い切った
  16. ^ 大阪球場でのライブはライブツアー「Tropic of Graduation Tour」時に開催されたものであるが当時のツアーパンフレットには日程が記載されておらず、大阪球場での公演2日前の8月23日でツアーは終了する予定であったがツアー開始初日の5月6日に関係者の間で会見を行い公表した。チケットは発売後に即日完売したことからも当時、尾崎の人気が一気に高まっていたことがうかがえる。
  17. ^ 最初にニューヨークへ渡ったのは1月で、その後は行ったり帰ったりを繰り返し、6月から長期滞在していた。
  18. ^ 同社はのちにアルファ・ムーンと合併しエム・エム・ジーとなり、その後イーストウエスト・ジャパンとなる。
  19. ^ 日本武道館でのライブは尾崎の夢だったが、同じく日本武道館での公演がプログラムされた「放熱への証」ツアーも尾崎の急死によって中止に終わり、結局叶うことはなかった。
  20. ^ 裁判官は尾崎に対して「人気歌手として社会に与えた影響は大きい。仕事上のスランプは理解できないわけではないが、法律が厳禁している覚せい剤の使用は決して許されるべきではない。両親が歌手生命が絶たれても警察に通報して救おうとした熱意などもあり、もう一度更生の機会を与える。一日も早く立ち直るように」と話した。また尾崎は判決が下されるまで実刑を信じていたという[49]
  21. ^ 釈放時、右手には手垢が滲みた村上春樹の「羊をめぐる冒険」を持っていた[50]。またファンらが彼の出所を祝うかのように「存在」や「卒業」を歌ったという[51]
  22. ^ 2013年現在、シングルではこのCDの売り上げが尾崎史上最高となっている。
  23. ^ このライブの模様は映像作品『OZAKI・19』に収録
  24. ^ 結局「TOKYO ROCKFEELING FESTIVAL」は尾崎以外の出演者で行われた。
  25. ^ 岡村とは1987年8月6日の広島平和コンサート「ALIVE HIROSHIMA '87」で共演し、岡村の楽曲「Young Oh! Oh!」を岡村とともに歌っている。
  26. ^ 北勝海とは亡くなる前々日の1992年4月23日に東京・六本木スナックで知り合っている。その際に尾崎は北勝海に「次の僕のコンサート必ずきてくださいよ。チケット送りますから。」と話したという[59]
  27. ^ RED WARRIORSや大友康平(HOUND DOG)らは尾崎と同じ事務所であるマザーエンタープライズに所属していた。
  28. ^ 現行教科書11種類のうち3種類の本に記述があること。
  29. ^ 巻数は『〜℃』で表されていた。
  30. ^ 3℃は1992年4月に発行され、その直後の4月25日に尾崎は急死した。
  31. ^ 浜田は事務所の名や曲名などに「ROAD」を多用している。
  32. ^ 尾崎は自分のイメージを鋭く尖ったナイフのような『Egde』だと解釈していたことによる。
  33. ^ 主にライブ映像を中心として構成されている。
  34. ^ 今番組内で放送された「ハイスクールRock'n'Roll」のMCでブルース・スプリングスティーンに関する話をしている。
  35. ^ 既に2010年に開催された音楽イベント「フジロックフェスティバル」において公開されていた。
  36. ^ この番組は無料放送として放送された。
  37. ^ 「誰かのクラクション」は尾崎がパーソナリティを務めた唯一のレギュラー番組で、1985年10月から1986年3月、1986年10月から1987年3月にオンエアされていた。番組ディレクターは加藤与佐雄。
  38. ^ アマチュアバンドの前座として参加。
  39. ^ 核 (CORE)」の原曲。
  40. ^ 白井貴子の前座として参加。
  41. ^ 当初はナゴヤ球場にて予定されていたが、会場の使用許可が下りず、大阪球場での開催となった。
  42. ^ 一部の関連本で、大阪球場での「Scrambling Rock'n'Roll」はプログラムからカットされた、とあるのは誤り。
  43. ^ ツアー途中に尾崎本人の急病により、ツアーが中断している。
  44. ^ 4日後の9月28日に公演会場である新潟県民会館へ入るも、ライブ前に倒れ、ツアーは中断されたため、結果的にこの日が本ツアーの最後の公演となった。
  45. ^ 多数の関連書では「15の夜」がプログラムされておらず、「十七歳の地図」となっているが、両曲ともに演奏されている。
  46. ^ 「・ism」が演奏された公演もあり
  47. ^ 6日の出演は予定になく、急遽出演したため「シェリー」、「僕が僕であるために」のみを演奏している。
  48. ^ 一部の関連本では、アンコールに「15の夜」がプログラムされているが誤り。
  49. ^ 2012年12月1日公開。
  50. ^ 尾崎本人が急死したため全公演中止となった。
  51. ^ 後に、未収録写真を76点を追加して「FREEZE MOON+」として再発売されている《2009年、春日出版、ISBN 4863211546》。

出典

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  2. ^ フジテレビ系列「尾崎豊 〜作られた教祖〜」平成4年(1992年)6月2日放送分より
  3. ^ a b 「尾崎豊ストーリー 未成年のまんまで」(1985年、落合昇平著、ソニー・マガジンズISBN 4789701964
  4. ^ 「尾崎豊 青春の叫び BORN TO RUN」(2002年4月21日、NHK-BS2
  5. ^ a b c d e 尾崎 豊 プロフィール”. ワーナーミュージック・ジャパン公式ホームページ. Warner Music Japan. 2021年9月27日閲覧。
  6. ^ BEATCHILD(ビートチャイルド)出演者”. 2013映画『ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD ビートチャイルド1987』製作委員会. 2013年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月9日閲覧。
  7. ^ 永井雄一 1992, p. 45
  8. ^ a b c d 西口 & 須藤 2001, p. 16-33
  9. ^ a b c d 須藤 et al. 1999, p. 23.
  10. ^ 須藤 et al. 1999, p. 24.
  11. ^ 永井雄一 1992, p. 54
  12. ^ 永井雄一 1992, p. 60
  13. ^ a b 須藤 et al. 1999, p. 25.
  14. ^ a b マイナビ学生の窓口 (2014年4月29日). “尾崎豊、忌野清志郎。和製ロックスター伝説”. アメーバニュース. オリジナルの2015年5月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150504054313/http://news.ameba.jp/20140429-307/ 2016年9月9日閲覧。 
  15. ^ 永井雄一 1992, p. 61
  16. ^ 永井雄一 1992, p. 67
  17. ^ 永井雄一 1992, p. 67-68
  18. ^ 永井雄一 1992, p. 68
  19. ^ a b 須藤 et al. 1999, p. 26.
  20. ^ 須藤 et al. 1999, p. 28.
  21. ^ 須藤 et al. 1999, p. 29.
  22. ^ talk & interview - _... moment ...._西本 明 / Akira Nishimoto
  23. ^ 永井雄一 1992, p. 101
  24. ^ 須藤 et al. 1999, p. 31.
  25. ^ 須藤 et al. 1999, p. 39.
  26. ^ 須藤 et al. 1999, p. 40.
  27. ^ a b c 山根由起子、編集委員・小泉信一 (2015年11月28日). “尾崎豊さん、生誕50周年 同世代が描く「地図」とは”. 朝日新聞digital. オリジナルの2015年12月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20151201063907/http://www.asahi.com/articles/ASHCH5HHLHCHUCVL00B.html 2016年9月9日閲覧。 
  28. ^ 永井雄一 1992, p. 107,156
  29. ^ 「あのころ フォークル、拓郎、岡林、泉谷、古井戸、赤い鳥… 昭和40年代フォークをふりかえりて」『週刊宝石』1985年8月23、30日号、光文社、92–97頁。 
  30. ^ a b 須藤 et al. 1999, p. 52.
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  34. ^ 永井雄一 1992, p. 123
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  38. ^ 読売新聞 1992年4月26日朝刊
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  40. ^ 支倉逸人『検死秘録―法医学者の「司法解剖ファイル」から』光文社、2002年、98頁。ISBN 978-4334973520 
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  42. ^ 永井雄一 1992, p. 190
  43. ^ 永井雄一 1992, p. 196
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  50. ^ 永井雄一 1992, p. 169
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  60. ^ “辻仁成 尾崎豊さんから悩みを聞いた”. デイリースポーツ. https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/07/24/0007175475.shtml 2014年7月25日閲覧。 
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  64. ^ 朝日新聞1999年10月7日号
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  66. ^ “尾崎の記憶永遠に”. 読売新聞. (2011年10月4日). オリジナルの2011年10月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111010050604/http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news2/20111004-OYT8T00284.htm 2014年3月15日閲覧。 ※現在はインターネットアーカイブに残存(掲載写真画像を除く)
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  68. ^ “尾崎豊の遺書公開に実父 「本当の遺書?」「自殺じゃない」”. NEWSポストセブン. (2011年11月18日). オリジナルの2013年10月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131023230343/http://www.news-postseven.com/archives/20111118_71059.html 2014年3月15日閲覧。 
  69. ^ アイソトープによる公式サイト
  70. ^ 尾崎豊 デビュー30周年記念日 -THE DAY- | WOWOWオンライン
  71. ^ 「私たちの街でコンサートを!」『月刊PATi-PATi 1986年8月号』第2巻第9号、CBS・ソニー出版、1986年8月9日、160頁。 






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