北丹後地震
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/18 00:45 UTC 版)
各地の震度
震度4以上を観測した地点は次の通り[1]。
震度 | 都道府県 | 観測所 |
---|---|---|
6 | 京都府 | 宮津測候所 |
兵庫県 | 豊岡 | |
5 | 福井県 | 福井・敦賀 |
京都府 | 京都 | |
兵庫県 | 洲本 | |
奈良県 | 八木 | |
広島県 | 松永 | |
4 | 北陸 | 伏木 |
甲信 | 甲府・飯田 | |
東海 | 岐阜・名古屋・亀山・伊賀 | |
近畿 | 彦根・大阪・神戸・和歌山 | |
中国 | 境・岡山・防府 | |
四国 | 徳島・多度津・松山 |
当時設定されていた最大震度は6(VI:烈震)であったが、峰山・野田川・網野地区では家屋倒壊率が100%近い地域もあり[7]、震度7相当と推定される場所もあった[8]。
被害
北近畿を中心に中国・四国地方まで被害が及んだ。なかでも被害が集中したのは、丹後半島のつけ根にあたる約15kmの範囲である。
地震被害が著しかったのは今の京丹後市峰山町、網野町、与謝野町旧加悦町地区、同町旧岩滝町地区で、家屋倒壊率は70% - 90%に達した。小学校も被災した。また、地震発生時刻が早春の夕刻だったために、暖房や炊事の火を原因とする火災が各所で発生した。特に網野町、峰山町、与謝野町旧野田川町山田地区では大火となり、合わせて8,287戸が焼失した。最大の被災地となったのは「丹後ちりめん」で知られる峰山町であった[9]。住宅や織物工場など家屋の97%が焼失した。人口に対する死亡率は22%に達した。
この地震による被害は、広範囲に及び、震源から150km以上も離れている鳥取県米子でも2戸の倒壊家屋が出た。さらに、大阪市鶴町一帯では地割れから海水が噴出、水道管の破裂も相まって付近一帯の家屋が泥水に浸った。液状化現象が発生したと考えられる[10]。このほか、京都府木津村、浜詰村では。村内各所で熱湯(出典ママ)が噴出する特異な現象が発生している[11]。
被害の総計は、死者2,925人(京都府内・2,898人)、負傷者7,806人、全壊1万2,584棟、半壊9,443戸、焼失8,287戸、全焼6,459戸、半焼96戸[12]であり、大災害へと発展した。
地震直後に寒気と降雨が被災地を襲ったため、被災者は二重の苦しみを負うこととなった。救援活動は道路や鉄道が寸断されたため海軍の第九駆逐隊も出動、震災各地に救護隊を上陸させて活動した[13]。
宮津線網野駅構内で横転した8620形蒸気機関車牽引の列車
順位 | 名称 | 発生日 | 死者・行方不明者数(人) | 規模(M) |
---|---|---|---|---|
1 | 関東地震(関東大震災) | 1923年9月1日 | 105,385 | 7.9 |
2 | 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災) | 2011年3月11日 | 22,312 | 9.0 |
3 | 明治三陸地震 | 1896年6月15日 | 21,959 | 8.2 |
4 | 濃尾地震 | 1891年10月28日 | 7,273 | 8.0 |
5 | 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災) | 1995年1月17日 | 6,437 | 7.3 |
6 | 福井地震 | 1948年6月28日 | 3,769 | 7.1 |
7 | 昭和三陸地震 | 1933年3月3日 | 3,064 | 8.1 |
8 | 北丹後地震 | 1927年3月7日 | 2,912 | 7.3 |
9 | 三河地震 | 1945年1月13日 | 1,961 | 6.8 |
10 | 昭和南海地震 | 1946年12月21日 | 1,443 | 8.0 |
2つの断層
この地震では、2つの地震断層が地表に現れた。京丹後市網野町浅茂川から同市大宮町三重(みえ)地区に至る左横ずれ主体の「郷村断層」(長さ約18km)と、野田川町岩屋地区から宮津市府中地区までの右横ずれ主体の「山田断層」(長さ約7km)である[4]。郷村断層では、西側が最大80cm隆起し、南へ270cm移動した。もう1本の山田断層は、北側が最大70cm隆起し、東へ80cm移動した。
なお、郷村断層は1929年12月17日、国の天然記念物に指定され3か所で保存されており、現在でも見ることができる。
- ^ a b c “震度データベース検索”. 気象庁. 2021年7月8日閲覧。
- ^ “M 7.0 - western Honshu, Japan”. アメリカ地質調査所 (2015年5月13日). 2018年6月27日閲覧。
- ^ 羽鳥徳太郎 (2010). “歴史津波からみた若狭湾岸の津波の挙動”. 歴史地震 25: 75-80 2018年6月27日閲覧。.
- ^ a b c d 岡田篤正, 松田時彦、「1927年北丹後地震の地震断層」 『活断層研究』 1997年 1997巻 16号 p.95-135, doi:10.11462/afr1985.1997.16_95
- ^ 奥丹後地方史研究会編集委員会『写真が語る明治・大正・昭和の丹後』文理閣、1991年、56頁
- ^ 丹後ちりめん子ども風土記編集委員会『丹後ちりめん子ども風土記』文理閣、1977年、107頁。
- ^ 大邑潤三(2016):1927年北丹後地震における建物倒壊被害と地形の関係 (PDF) , 自然災害科学 J.JSNDS 35-2 121-140.
- ^ 鈴木猛康, 全壊率100%、内陸活断層型の破壊力 (PDF) , 事例に学ぶ自治体防災
- ^ 峰山、網野、加悦、岩滝など壊滅『大阪毎日新聞』昭和2年3月8日号外(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p219 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 海水吹き出し洪水、大阪で液状化現象『大阪毎日新聞』昭和2年3月8日号外(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p220)
- ^ 第一震で全町倒壊した網野・峰山両町『大阪毎日新聞』昭和2年3月9日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p222)
- ^ 大邑潤三、「1927年北丹後地震における人的被害の分析」 『鷹陵史学』 41号 19-42 2015/09/30
- ^ 救護届かぬ峰山以北、被災地に水禍無情『中外商業新報』昭和2年3月11日夕刊(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p223)
- ^ 過去の地震津波災害 気象庁 2020年7月6日閲覧。
- ^ 日本付近で発生した主な被害地震(平成8年以降) 気象庁 2020年7月6日閲覧。
- ^ 佃栄吉, 杉山雄一, 下川浩一、「1985年北丹後活断層系・山田断層(上山田地区)トレンチ調査」 『活断層研』 1993年 1993巻 11号 p.22-28, doi:10.11462/afr1985.1993.11_22
- ^ 『阪急電車駅めぐり 神戸線の巻
- ^ 植村善博, 2016, [報告]北但馬地震および北丹後地震における豊岡町,峰山町,網野町の復興計画と実施過程(第32回歴史地震研究会公開講演会要旨) (PDF) ,歴史地震,第31号,157-161.
- ^ 消防庁災害伝承情報データベース
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- 2 北丹後地震の概要
- 3 各地の震度
- 4 意義
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