北丹後地震について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 16:00 UTC 版)
「金刀比羅神社 (京丹後市)」の記事における「北丹後地震について」の解説
マグニチュード7と推定される北丹後地震では、峰山町は壊滅状態となり、金刀比羅神社も社殿を始め殆どの建造物が壊滅的な被害を受けた。そこで、府営の仮神殿に御神体を安泰。阿里山の檜材を得て昭和4年(1929年)から復興造営に着手した[要出典]。本殿・拝殿・斎館などの主要な建物は昭和5年(1930年)に再建され、昭和8年(1933年)にはひと通り修復を終えた。約6000坪の境内に、約180段の石段、本殿、拝殿の整備・復旧させるための低利資金は約14万円(消費者物価指数をベースにすると2017年現在の貨幣価値は約2億9,200万円)を要し、多くが地元有志の寄付で賄われた。その時の寄付者の名が刻まれた芳名碑が石段脇に並んでいる。その中には (株) 丹後商工銀行(現京都銀行の前身:京都銀行峰山支店が丹後商工銀行本店)、吉忠商店(現吉忠)、丸紅商店(現丸紅)ミヨシ石鹸合名会社(現ミヨシ石鹸)など、丹後地方の地場産業であるちりめん産業と縁のあった企業の名がある。
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