ジョン・タイラー
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大統領職後
1861年2月、タイラーはワシントン講和会議の議長を務めるため再び公的生活に入る。会議は内戦を回避するための妥協が求められた。一方モンゴメリー会議ではアメリカ連合国憲法が採択された。上院が彼の提案を拒絶すると、タイラーはバージニア州の即時脱退を促した。
1861年のアメリカ連合国臨時議会に参加した後、彼は南部連邦の下院議員に選任されたが、就任前に気管支炎で死去した。アメリカ南部連邦をアメリカ合衆国と見なさない場合、彼は2018年現在外国で死去した唯一の大統領経験者である。彼の最後の言葉は"I am going. Perhaps it is best."「私は死ぬ。たぶんそれが一番良いだろう。」であった。タイラーはヴァージニア州リッチモンドのハリウッド墓地に埋葬された。
脚注
外部リンク
- Official Whitehouse biography
- U.S. Senate Historian's Office: Vice Presidents of the United States--John Tyler
- Tyler's letters refusing government intervention, April and May, 1842
- John Tylerの作品 (インターフェイスは英語)- プロジェクト・グーテンベルク
- List of Descendants
- First State of the Union Address
- Second State of the Union Address
- Third State of the Union Address
- Fourth State of the Union Address
- John Tyler's Health and Medical History
- Hollywood Cemetery - John Tyler's final resting place
- Official Whitehouse biography
- John Tyler: A Resource Guide from the Library of Congress
- 図書館にあるジョン・タイラーに関係する蔵書一覧 - WorldCatカタログ
- Biography by Appleton's and Stanley L. Klos
- U.S. Senate Historian's Office: Vice Presidents of the United States--John Tyler
- John Tyler in Union or Secession: Virginians Decide at the Library of Virginia
- POTUS - John Tyler
- United States Congress. "ジョン・タイラー (id: T000450)". Biographical Directory of the United States Congress (英語). Retrieved on 2009-5-13
- John Tyler's Grandson Still Does Tours in the Old Tyler Home
- Extensive essay on John Tyler and shorter essays on each member of his cabinet and First Lady from the Miller Center of Public Affairs
公職 | ||
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先代 ウィリアム・ヘンリー・ハリソン |
アメリカ合衆国大統領 1841年4月4日1 - 1845年3月4日 |
次代 ジェームズ・ポーク |
先代 リチャード・M・ジョンソン |
アメリカ合衆国副大統領 1841年3月4日 - 1841年4月4日 |
空位 次代の在位者 ジョージ・ダラス
|
先代 ジョージ・ポインデクスター |
アメリカ合衆国上院仮議長 1835年3月3日 - 1835年12月6日 |
次代 ウィリアム・R・キング |
先代 ジェームズ・プレザンツ |
バージニア州知事 1825年-1827年 |
次代 ウィリアム・ブランチ・ギルズ |
アメリカ合衆国上院 | ||
先代 ジョン・ランドルフ |
バージニア州選出上院議員(第1部) 1827年-1836年 同職:リトルトン・W・タッツウェル, ウィリアム・C・ライヴス, ベンジャミン・W・リー |
次代 ウィリアム・C・ライヴス |
アメリカ合衆国下院 | ||
先代 ジョン・クロプトン |
バージニア州選出下院議員 バージニア州第23選挙区 1817年-1821年 |
次代 アンドリュー・スティーヴンソン |
党職 | ||
新党結成 | ホイッグ党副大統領候補 18363, 1840 |
次代 セオドア・フリーリングハイゼン |
学職 | ||
先代 ジョージ・ワシントン |
ウィリアム・アンド・メアリー大学総長 1859年-1862年 |
次代 ヒュー・ブレア・グリスビー |
注釈 | ||
1. タイラーは4月6日まで就任宣誓をしなかった。 2. タイラーは1861年に選出されたが、就任前に死去した。 3. ホイッグ党は1836年に地方候補を擁立した。 タイラーは南部州で立候補し、フランシス・グレンジャーは北部州で立候補した。 |
注釈
- ^ なお、1人の夫人からの場合は、ウィリアム・ハリソンの10人(6男4女)が最多。『アメリカ大統領を読む事典』宇佐美滋著、講談社+α文庫、p192。
出典
- ^ a b c d e f “John Tyler: Life Before the Presidency”. 2008年11月16日閲覧。
- ^ “White House Biography of John Tyler”. he lent a big toilet to a big guy. 2008年11月15日閲覧。
- ^ 『アメリカ大統領を読む事典』宇佐美滋著、講談社+α文庫、pp277-279、p420。
- ^ Long, Christopher. Tyler, TX. The Handbook of Texas Online. Texas State Historical Association. 2013年6月3日閲覧.
固有名詞の分類
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