ベンジャミン・W・リー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/04 14:13 UTC 版)
ベンジャミン・W・リー Benjamin W. Lee |
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弟・チョルン提供
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生誕 | 1935年1月1日![]() |
死没 | 1977年6月16日(42歳没) アメリカ合衆国 イリノイ州 |
居住 | ![]() |
市民権 | ![]() |
国籍 | ![]() ![]() ![]() |
研究分野 | 理論物理学、場の量子論、素粒子物理学 |
研究機関 | プリンストン高等研究所 ペンシルベニア大学 ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校 シカゴ大学 フェルミ国立加速器研究所 |
出身校 | マイアミ大学 ピッツバーグ大学 ペンシルベニア大学 |
博士課程 指導教員 |
アブラハム・クライン |
他の指導教員 | シドニー・メシュコフ |
博士課程 指導学生 |
姜周相 |
他の指導学生 | アーネスト・S・アバース |
主な業績 | チャームクォークの質量の計算 自発的に対称性が破れたゲージ理論の繰り込み |
影響を 受けた人物 |
アブラハム・クライン シドニー・メシュコフ |
影響を 与えた人物 |
スティーヴン・ワインバーグ ヘーラルト・トホーフト アブドゥッサラーム |
主な受賞歴 | 国民勲章・冬柏章 |
署名 | |
補足 | |
姜周相 《李輝昭評伝》
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プロジェクト:人物伝 |
ベンジャミン・リー(Benjamin Whisoh Lee (ベンジャミン・フィソ・リー)、1935年1月1日 - 1977年6月16日)は、日本統治時代の朝鮮で生まれたアメリカの理論物理学者である。
アメリカにおいては彼の英語名のニックネームでベン・リー (Ben Lee) として知られ、韓国ではイ・フィソ(이휘소、李輝昭)として知られている。
彼は20世紀後半に理論素粒子物理学において自発的に対称性が破れたゲージ理論の繰り込み[1] とチャームクォークの探索に関する研究に貢献した。
物理学者として本格的に活動し始めて以来、およそ20年間で総計107本の論文を発表し、このうち77本がジャーナルに出版された。[2]
代表的な弟子には姜周相・高麗大学物理学科名誉教授がいる。
生涯
生い立ち
ベンジャミン・リーは1935年1月1日、日本統治時代の朝鮮京城府元町(現在のソウル特別市龍山区)で3男1女の長男として生まれた。本貫は広州李氏[3]。母親は元町の『慈恵病院』で働いており、父親は医者免許を所持していたにもかかわらず、貧しい人たちからお金をもらって治療することを嫌がって開業医活動を行わなかったため、家計は母親が担っていた。[4]
1941年に京城師範学校第一付属国民学校に入学した。当時、富裕な友人からよく日本語の書籍を借りて読んでいた。その中で彼が一番大好きだった本は月刊誌『子供の科学』だったという。国民学校在学中に朝鮮は独立を迎え、京城師範学校が閉校されたため、1947年に卒業する時はソウル大学師範部付属国民学校所属だった。卒業後は京畿中学校に進学した。部活動は化学部に所属していたという。[4]
大学入学からアメリカへの留学
ベンジャミン・リーは検定考試(日本の高等学校卒業程度認定試験に該当)を受けて大学入学資格を取得し、1952年にソウル大学工学部化学工学科に首席で入学した。入学後、化学より物理学に大きく興味を抱き、以後文理科部物理学科への転科を試みたものの、大学側は文理科部物理学科への転科を許可しなかった。彼は独学で物理学を勉強し、朝鮮戦争参戦米軍将校婦人会の留学奨学生に選抜されたため、ソウル大学を自主退学し、1955年1月にアメリカのマイアミ大学物理学科の3年生課程に編入学した。[4]
1956年、物理学科を優秀な成績(スンマ・クム・ラウデ(Wiktionary:summa cum laude))で卒業し、ピッツバーグ大学大学院に進学した。[4] 大学院では、ティーチングアシスタント(TA)として、工学科と医学科の学生たちの物理学実験を担当した。翌年の秋学期からはリサーチアシスタント(RA)を兼職するようになり、実験の指導だけ担当していたところから正式に1つの講義を割り当てられた。この頃、物理学で本格的に素粒子物理学、正確には場の量子論の専攻を希望するようになった。[4]
ベンジャミン・リーはピッツバーグ大学大学院の博士課程進級試験に首席合格し、1958年に修士学位を取得した。修士論文の題名は〈On the Analytic Properties of the
- The Ben Lee Fellowship
- Benjamin Lee comments on HEP discoveries (May 13, 1976)
- In Memoriam Benjamin W. Lee (1977)
- Ben Lee Memorial International Conference at Fermi Lab (1977)
- Benjamin Whiso Lee: Korea's Oppenheimer? (by Moo-Young Han)
固有名詞の分類
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