フェルミ国立加速器研究所在職時期
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「ベンジャミン・W・リー」の記事における「フェルミ国立加速器研究所在職時期」の解説
1973年9月にフェルミ国立加速器研究所の理論物理学部長(Head of the theoretical physics department)に赴任し、1975年8月までブルックヘブン国立研究所の高エネルギー諮問委員を務めた。一方、1974年4月からシカゴ大学の教授も兼任した。ニューヨーク州立大学ストーニブルック校では1966年8月31日からベンジャミン・リーを休職処理し、1974年9月25日から物理学科先端教授(leading proffesor)に任用する特別待遇をし、1976年8月30日まで続いた。フェルミ国立加速器研究所では、ベンジャミン・リーはここでのほぼ全ての理論研究に関与し、実験計画も一緒に立てていた。1974年6月からはSLAC国立加速器研究所の科学政策委員会諮問委員を務めた。 1974年にアメリカ合衆国国際開発庁(USAID)の借款によるソウル大学援助計画のアメリカ側評価委員として20年ぶりに母国を訪問した。朴正煕が独裁をし続ける限りは韓国に足を入れることは断じてないと決めていたベンジャミン・リーがどうしてUSAIDの評価委員委嘱を受諾したのかについてははっきりしていない。 1976年に三度プリンストン高等研究所の研究員として招聘された。またこの年にアメリカ芸術科学アカデミーの会員に選出された。
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