ケベック州
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 03:59 UTC 版)
概要
総面積1,542,056平方キロ[3]、人口848万4965人(2019年推計)[4]。カナダの州・準州の中では、面積はヌナブト準州に次いで第2位、人口はオンタリオ州に次いで第2位である。州都はケベック市だが、州最大の都市はモントリオール。モントリオール市はフランス語圏の都市としてはパリ・キンシャサに次ぐ規模の都市であり、北米大陸でも重要な地位を占めている。また、ケベック州の人口の約半分がモントリオール大都市圏に集中している。漢字表記は喜別久、貴壁[5]。
地理
南から西にかけてオンタリオ州と接し、西北部はハドソン湾に面する。北部は北極海に面し、ラブラドール半島の東北部はニューファンドランド・ラブラドール州のラブラドール地方となっている。東部は大西洋に繋がるセントローレンス湾に面し、ニューブランズウィック州やアメリカ合衆国東北部に接する。最高峰はトーンガット山脈のディバーヴィル山(1,622m)。州の南部にはローレンシャン山地が広がり、その南のローレンス湾沿いには平野があってアメリカ合衆国との国境を形成している。オンタリオ湖からセントローレンス川を伝ってセントローレンス湾に水が流れ、大西洋に至る。州人口の大部分は州南部のセントローレンス川流域に居住している。北部はラブラドール半島に属し、タイガ、ツンドラ、湖、川が広がる。人口は極僅かで、小さな集落が見られる程度となっている。
また、セントローレンス湾にアンティコスティ島や、マドレーヌ諸島を領有している。
地域
地方行政区分
州最南西部はアクウェサスという先住民モホーク族の居留地となっており、アメリカ合衆国ニューヨーク州とケベック州、オンタリオ州にまたがっている。カナダ側のケベック州からはセントローレンス川により遮断されているためにアメリカに一旦入国しないと入境できない飛び地になっており、また領域内には地図上では国境線が引かれているものの、国境管理等は無く自由に行き来できるようになっている。地図上に国境があっても国境管理がなされていない北米では希有な地域となっている[6][7]。
主要都市
- モントリオール (Montréal)
- ケベック・シティー (Québec) (ヴィル・ド・ケベック / Ville de Québec)
- ラヴァル (Laval)
- ガティノー (Gatineau)
- ロンゲール (Longueuil)
- シェルブルック (Sherbrooke)
- サグネ (Saguenay)
- レヴィ (Lévis)
- トロワ・リヴィエール (Trois-Rivières)
- テルボンヌ (Terrebonne)
- サン・ジャン・シュール・リシュリュー (Saint-Jean-sur-Richelieu)
- ブロサード (Brossard)
- ルパンティニー (Repentigny)
- ドラモンビル (Drummondville)
- サン・ジェローム (Saint-Jérôme)
- グランビー (Granby)
- ビクトリアビル (Victoriaville)
歴史
先コロンブス期
クリストバル・コロン(クリストファー・コロンブス)がアメリカ大陸に到達するまでは、この地域にはアルゴンキン族(クリー族(Cree)、ミックマック族(Micmacs)含む)、及びイロコワ族(モホーク族(Mohawks)含む)などの狩猟インディヘナが居住していた。また北部にはイヌイット族も居住していた。
フランス人の入植
1492年にスペインのカトリック両王の命を受けたジェノヴァ人の航海者コロンブスがイスパニョーラ島へ到達し、アメリカ大陸を「発見」すると、ヨーロッパ人によるアメリカ大陸の植民地化が進み、ケベックにも1534年にフランス王フランソワ1世の命を受けた探険家、ジャック・カルティエが到達した。カルティエはセントローレンス湾周辺を探検し、この地を「ヌーヴェル・フランス」(ニュー・フランス)と名付け、フランス王による領有を宣言した。
1604年にサミュエル・ド・シャンプランにより最初の定住植民地が開拓され、1608年にはヴィル・ド・ケベック(現在のケベック・シティー)に毛皮の貿易拠点が建設され、植民地開発が本格化した[8]。ケベック植民地が創設されたことによりフランス人による開拓が進み、1642年にはヴィル・マリー(後のモントリオール)市が建設された。「ヌーヴェル・フランス」(北米フランス植民地)はミシシッピ川流域にまで及んだ。その後、イギリスとフランスの間での北米の覇権争いが続いた。
移民社会は通常、男性の入植者が女性と比較して圧倒的に多く、ヌーベルフランスにおいても当初は同様の傾向が見られたが、ルイ14世による「国王の娘たち」政策によって渡航費や支度金が与えられた女性が入植し、男女比の改善とそれに伴う人口増加がみられた[8]。
イギリスの支配
18世紀の七年戦争(特に北米での戦争を「フレンチ・インディアン戦争」と呼ぶ)により、ケベック・シティー、モントリオールが相次いで英軍に占領されると、1763年のパリ条約でイギリス領となった。当初、イギリスはフランス人入植者の同化を目指したが、フランス人入植者の多くがケベックを離れなかったことに加え、イギリスからの入植者が増えなかったことから同化政策を断念し、英国議会が制定したケベック法により、フランス民法典やローマ・カトリックの存続が認められ、フランス色が残った[8]。当時のフランス系住民は約6万であった。このため、カナダは英語とフランス語を国の公用語としているが、ケベック州では今日までフランス語のみが公用語となっている。
連邦への加盟
1776年にイギリスから独立したアメリカは、ケベックの反英感情の強さをテコに連邦参加を呼びかけていたが、当時のケベックの住民はアメリカよりはイギリスに付いていた方が得策と考えていた。ケベックは、1791年に植民地統治法 (Constitutional Act) によって、アッパー・カナダ(後のオンタリオ州)とロウアー・カナダ(後のケベック州)に分割された。1867年のカナダ自治領 (Dominion of Canada) の成立により、ロウアー・カナダ植民地はケベック州となった。元々かなり貧しい州で、社会的にも遅れていたため、近代化がなかなか進まなかった。さらに、経済の重要部門は少数派のイギリス系住民が運営し、州予算は当時から連邦政府に大きく頼らざるを得ない状況であった。フランス系の大半は農業に従事し、教育や社会福祉は教会が主に携わった。カナダ国内で産業化が進行すると、ケベック州においては農村から都市(モントリオール)へ人口が移動するが、モントリオールではイギリス系の商人が事業を展開していたため経済格差が広がり、富裕層はイギリス系住民で労働者階級をフランス系住民が担うという構造であり、フランス語話者はいわば「二級市民」と呼ぶに等しい状況であった[9]。
1898年にカナダ議会により、ルパート・ランド-ノースウエスト準州に属していたジェームズ湾沿いの北部ケベックに領土を拡大した。そして、1912年に、イヌイットが居住する極北のウンガバ半島を加えた。1920年代以降の、電力と非鉄金属などの重工業化はイギリス系とアメリカ資本を中心に行われた。1927年に、当時はカナダと同格の事実上の独立国だったニューファンドランド(現在のニューファンドランド・ラブラドール州)との境界が、英国枢密院司法委員会によって確立されたが、ケベック側は、公式にはこの境界線を認めていない[10][11][12]。1944年にはアルミニウムのような産業を拡張するのを助けるためにイドロ・ケベックが設立された。
静かなる革命
1960年代の州政府による一連の社会改革(公的部門を基にした経済自立戦略)は、英語系住民によるケベック経済の支配構造を変え始め、教会による教育・社会福祉への関与も州政府の役割に取り替えた。これは州首相ジャン・ルサージュ(ケベック自由党)がはじめた「静かなる革命」と呼ばれるもので、民族主義(ケベック・ナショナリズム)と社会民主主義に動機付けられた。静かなる革命の一環として電力会社の州営化と教育省の設置が行われ、フランス語話者の地位改善が図られた[13]。 1965年に、州民の年金と公共保険を扱うためのケベック州投資信託銀行が設立されたが、同社は債券や株式への投資などを行っており、その後の州の経済発展に寄与している。1976年まで職場において、ボスの言語は英語、労働者はフランス語とされ、企業内は英語に限られていた。
20世紀後半のケベック
1967年にモントリオール万国博覧会 (EXPO'67) が開催されている。また、1976年にモントリオールオリンピックも開催されている。
1977年に、フランス語憲章が成立し、英語使用の規制とフランス語使用の促進が図られたため、英語話者のケベックからの転出が増加した[14]。
様々な面でアメリカ合衆国と緊密な、中央政府からの分離主義的傾向が永年にわたってくすぶり、1970年には過激派「ケベック解放戦線」 (FLQ) のテロで、時の労相兼州副首相が誘拐、殺害される惨事(オクトーバー・クライシス)も起こった。政治レベルでの連邦政府への反感も根強いが、独立を巡って1980年と1995年に行われた住民投票では、2回とも否決された。1980年の住民投票では独立反対の割合が約60%。1995年の投票ではモントリオール市民、先住民ならびにメティ(先住民との混血者)たちの反対票が勝敗を決したものの、反対票の割合は約50.6%と賛成と反対の差が縮まっている。カナダ最高裁は単なる過半数の賛成では条件に満たないとした。この背景には、社会的経済的主導権をフランス系住民が完全に握るべきだという主張と、フランス系住民の出生率低下・移民の増加による民族構成変化への不満がある。単純に見ると、独立運動は労働組合と地方の住民に根強い人気があり、不況になると勢いづき、景気が回復すると下火になる。
また、旧英領北アメリカ法 (British North America法) を踏襲した1982年憲法をケベック州のみが批准しておらず、これも火種のひとつとなっている。
1989年3月、太陽風の影響でケベック州の送電線網が機能を停止。約600万世帯に及ぶ大規模な停電の被害を受け、復旧に数か月の時間がかかった[15]。
新型コロナウイルスの感染拡大
2021年1月、新型コロナウイルス感染拡大に伴い夜間外出禁止令が発出された。これはスペイン風邪の流行以来の100年ぶりの措置となった。カナダ国内の死者は4月までに約2万4200人を記録したが、多くはオンタリオ州とともにケベック州から生じたものとなった。同年5月1日、モントリオール市内で外出規制に反対する抗議デモが約3万人を集めて行われた。ケベック州政府は、感染拡大の鈍化を理由として、5月3日からモントリオール市内の夜間外出禁止開始時間を1時間半遅らせ午後9時半にすると発表した[16]。
- ^ “Population and dwelling counts, for Canada, provinces and territories, 2016 and 2011 censuses”. Statistics Canada (2017年2月8日). 2017年2月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月12日閲覧。
- ^ “Gross domestic product, expenditure-based, by province and territory (2015)”. Statistics Canada (2016年11月9日). 2012年9月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年1月13日閲覧。
- ^ “Land and freshwater area, by province and territory”. Statistics Canada (2005年2月1日). 2010年5月26日閲覧。
- ^ “Population by year of Canada of Canada and territories”. Statistics Canada (2014年9月26日). 2016年6月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月20日閲覧。
- ^ https://www.benricho.org/kanji/kanji_chimei/database/csv_search.cgi
- ^ “The Nation That Sits Astride the U.S.-Canada Border”. ポリティコ. 2019年8月18日閲覧。
- ^ “Canada’s Toughest Border Crossing”. The Walrus. 2019年8月18日閲覧。
- ^ a b c 矢ケ崎、菊池、丸山 2018, pp. 3.
- ^ 矢ケ崎、菊池、丸山 2018, pp. 5.
- ^ Louise Accolas and Marie Barrette (2001年10月31日). “Le ministre des Ressources naturelles du Québec et le ministre délégué aux Affaires intergouvernementales canadiennes expriment la position du Québec relativement à la modification de la désignation constitutionnelle de Terre-Neuve”. Secrétariat aux affaires intergouvernementales canadiennes. 2009年12月24日閲覧。
- ^ “Maps of provincial electoral divisions by administrative region”. Le Directeur général des élections du Québec. 2009年12月24日閲覧。
- ^ “Les frontières du Québec”. Ministère des Ressources naturelles et de la Faune (2002年). 2009年12月24日閲覧。
- ^ 矢ケ崎、菊池、丸山 2018, pp. 7.
- ^ 矢ケ崎、菊池、丸山 2018, pp. 8.
- ^ “太陽嵐で大規模停電が起きるわけ”. ナショナルジオグラフィック. 2022年2月23日閲覧。
- ^ “カナダ・モントリオールで反コロナ規制デモ、接種会場が閉鎖に”. AFP (2020年5月2日). 2021年5月2日閲覧。
- ^ F・カニンガム; 中谷 義和 & 柳原 克行 (翻訳) (一九九六年三号). “カナダ/ケベックの難問: 三民族型パースペクティブ”. 立命館法学. 2009年12月22日閲覧。
- ^ “カナダ・ケベック州議会選:新興政党CAQが勝利、移民抑制掲げる”. ブルームバーグ. 2018年10月2日閲覧。
- ^ “世界の潮流がケベックから見えてくる〜ナショナリズムはこう変わった”. 現代ビジネス. 2018年11月14日閲覧。
- ^ Chung, Andrew (2010年3月30日). “Quebec to tackle deficit by raising taxes”. Toronto Star 2010年6月15日閲覧。
- ^ SÉGUIN, RHÉAL (2009年12月1日). “Quebec offers public sector 7 per cent over 5 years”. Globe and Mail (QUEBEC) 2009年12月2日閲覧。
- ^ Tomesco, Frederic (2010年3月30日). “Quebec to Raise Taxes, Freeze Spending to Cut Deficit”. Bloomberg Businessweek 2010年6月15日閲覧。
- ^ Howard, David (2010年5月28日). “Quebec still gets $8B”. Ottawa Citizen. 2010年6月30日閲覧。
- ^ Claude Bélanger (1999年). “Equalization Payments - Quebec History”. Marianopolis College. 2009年10月23日閲覧。
- ^ “Equalization Program”. Department of Finance Canada (2009年1月1日). 2009年10月23日閲覧。
- ^ “Quebec argues Ottawa shorted province $1B in federal budget”. CBC News. (2009年1月27日) 2009年10月27日閲覧。
- ^ “Gross domestic product, expenditure-based, by province and territory”. Statistics Canada. 2012年8月4日閲覧。
- ^ a b 宮尾尊弘 (2007年8月30日). “ラ・プレスのジャーナリスト、アラン・ドゥブック(Alain Dubuc)氏とのインタビュー”. 日本・ケベック情報 (ラ・プレス社にて) 2009年12月22日閲覧。
- ^ a b Heather Scofield (2009年8月4日). “Few bumps in la belle province's recession ride”. GlobeAdvisor.com. Globe and Mail. 2009年12月22日閲覧。
- ^ “Quebec gives Bridgestone plant $4.8 million”. The Montreal Gazette. (2009年11月13日) 2009年12月24日閲覧。
- ^ “カナダに集積するゲーム産業、人材開発で官民協力”. アニメニュース Japanimate.com. 日経産業新聞より (2009年12月8日). 2009年12月24日閲覧。
- ^ “Parizeau is at it again”. Toronto Star (2009年11月18日). 2009年12月2日閲覧。
- ^ a b Muller, Paul Daniel (2006年1月13日). “Don’t let Quebec’s daycare system serve as a model for all of Canada”. The Province (Vancouver). Institut économique de Montréal. 2009年12月24日閲覧。
- ^ “Quebec daycare biased: PQ”. Toronto Sun (QUEBEC: THE CANADIAN PRESS). (2009年12月2日) 2009年12月2日閲覧。
- ^ Mrozek, Andrea (2009年11月24日). “The high cost of early learning”. Globe and Mail 2009年12月2日閲覧。
- ^ Goar, Carol (2009年9月9日). “Quebec shows the way on poverty”. Toronto Star. 2009年12月2日閲覧。
- ^ “Quebec Budget or Policies”. Ontario Coalition for Better Child Care (2009年9月9日). 2009年12月2日閲覧。
- ^ Nalcor (2009) (pdf). Annual Report 2008. St. John's. pp. 76. ISBN 978-2-550-55046-4
- ^ Moore, Lynn (2009年11月30日). “Newfoundland challenges Churchill Falls hydro deal with Quebec”. Canwest News Service (Montreal Gazette) 2009年12月1日閲覧。
- ^ Statistiques sur l'immigration récente . Tableaux sur l'immigration permanente au Québec 2012-2016
- ^ Présence en 2012 des immigrants admis au Québec de 2001 à 2010
- ^ “2006 Census of Population”. Statistics Canada (06/12/2008). 2009年10月31日閲覧。
- ^ Statistiques sur l'immigration récente . Tableaux sur l'immigration permanente au Québec 2011-2015
- ^ Séguin, Rhéal (2010年6月5日). “Quebec NHL dream nears reality”. Globe and Mail 2010年6月8日閲覧。
- ケベック州のページへのリンク