新造形式
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.mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}} クハ86063 クハ86形300番台 クハ86332シールドビーム2灯化改造車 クハ86059前面窓木製枠残存車1965年 クハ86形(クハ86001- 86080・86082・86084・86100 - 86142・86300 - 86373・86375) トイレ付の3等制御車。定員は基本番台が79人、100番台と300番台が76人。 1949年度末から製造されたクハ86001 - 86020は運転台正面が従来のモハユニ61形などのデザインを踏襲した非貫通3枚窓構成で落成したが、1950年下期以降製造の2次車からは、当時としては極めて斬新な正面2枚窓スタイルに変更となった。この形状は本系列の通称に基づいて「湘南形」と呼ばれ、以後本形式の基本スタイルとなった。正面3枚窓の一次車の一部は、正面に取り付けられた手摺の位置や形状が他の一次車と異なり、それぞれ奇数向き偶数向き1両ずつの存在だったため正面を見ただけで容易に特定が可能とされた。クハ86003・86004:川崎車輌が製造。ウインドシル上左右に取付けられた手摺が他車と比べ長さ倍以上。 クハ86009・86010:日車東京支店が製造。前照灯両脇手摺が他車より低い位置に取付。 クハ86017・86018:新潟鉄工が製造。窓間の2本の柱に沿うように五対の手摺を梯子状に取付。 なお営業開始前試運転での火災事故により復旧されたクハ86017も含めてこれらの特徴は晩年まで維持された。 本形式には以下の異端車が存在する。クハ86015:1959年に衝突事故後復旧工事で正面左右窓を153系のクハ153形0番台車などと同様の曲面ガラス窓化。ただしこれは後に他の初期車と同様、Hゴム支持の平面ガラスによる3枚窓構成に再改造されているが、ガラス寸法は異なる。 クハ86021・86022:東急車輛で製造された最初の正面2枚窓型車であるが、3枚窓車用の台枠を流用したために「鼻筋」となる鋼板合わせ目のない曲面の付いた形状で落成。クハ86023以降は台枠形状を変更して折れ目の付いたスタイルとなった(影響については後述)。 クハ86332:前照灯シールドビーム2灯化改造を唯一施工。 クハ86356・86359:1951年以前製の更新修繕施工車と同様の縦寸法が若干小さい前面窓ガラスを装着。 なお、当車は左右両方の窓とも縦寸法の小さいものに交換されたが、片方だけ交換したものとして、ほかに86123・86344・86352などがある。 さらに製造途中での設計変更も上述した正面2枚窓スタイル化のほか、1952年度製造のクハ86061- は正面窓がHゴム支持による車体直結の固定窓化を実施。1954年度製造の86067-は運行灯窓、戸袋窓、ドアガラスもHゴム支持化。86136 - 86372の偶数車はMGを搭載。300番台車では引き通しの両渡り構造採用などがある。正面窓木製枠車のうちクハ86058までの58両は1950年代後半に更新工事を施工され全てHゴム支持に改造されたが、未施工のクハ86059・86060の2両は中京地区で運用された(一部東京駅乗り入れ運用あり)1970年代前半まで木製枠のままとされた。なお両車とも山陽本線転用後にHゴム化された。 モハ80形(モハ80001- 80117・86200 - 80256・80300 - 80425) モハ80379 モハ80325 増設回送運転台 3等電動車。PS13形パンタグラフ・主制御装置・電動発電機(MG)・空気圧縮機(CP)を搭載する。本系列では電動車となる本形式のみトイレなしとされた。定員は基本番台が92人。200番台以降は88人である。またモハ80103・108 - 110・80316・80325・80341・80343は後年の改造により回送運転台を装備するほか、以下の異端車が存在する。 本形式には以下の異端車が存在する。モハ80027:上述した試運転時火災焼失事故被災車であるが、更新修繕施工車にもかかわらず張り上げ屋根構造(雨樋位置は下部)のまま残置し、戸袋窓Hゴム化も未施工。 サハ87形(サハ87001- 87047・87100 - 80119・87300 - 87331) 3等付随車。定員は基本番台が89人。100番台以降は84人である。 1970年代前半に豊橋機関区(現・豊橋運輸区)に配置されたサハ87001ならびに長岡運転所(現・長岡車両センター)に配置されたサハ87002・87007・87009 - 87011は、飯田線及び上越線運用で戦前形や70系電車等との併結となることからジャンパ連結器ならびに貫通幌交換・側扉半自動化などが施工された サロ85形(サロ85001- 85035・85300 - 85311) 2等付随車。定員は基本番台が64人、300番台が60人。本形式では座席間隔改良が行われていないために基本番台と300番台のみである。基本番台のうち、1949年製造の初期車は客用扉が幅700 mmの木製であったが、翌1950年製造の2次車からは同じ幅の鋼板プレスドアに変更された。 1959年から田町電車区(後の田町車両センター→現・東京総合車両センター田町センター)配属車の一部が横須賀線編成に転用され、32・42・70・72系電車等との併結となることからジャンパ連結器や貫通幌の交換などが施工された。横須賀線編成が大船電車区(現・鎌倉車両センター)に移管された1960年以降にも転用車は増加し、最終的に以下の11両が転用された。なお該当車両はその後の格下げ・3扉化等の際も70系等と併結運用された。 サロ85001・85003・85004・85006・85010- 85013・85020・85024・85029・85030 モユニ81形(奥)手前はEF13形電気機関車 クモユニ81形(クモユニ81001- 81006) 6両のみ製造された郵便荷物合造電動車。両運転台でパンタグラフは2基搭載である。1959年の称号規程改正前はモユニ81形。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:18 UTC 版)
クモハ115形 主制御器・主抵抗器を搭載する制御電動車で、モハ114形とユニットを組む。急行形のMc車とは異なり、主電動機冷却風取入口は、クモハ103形などと同様に前位寄り戸袋窓上部の設置とした。0番台は全車モハ114形800番台とユニットを組む。全車が奇数(東海道本線上で東京)向き。当初に設計された形式ではなく、中央本線投入の際に乗り入れ先となる富士急行線が3両編成までに制限されていたため1966年(昭和41年)から製造された。 モハ115形 主制御器・主抵抗器を搭載する中間電動車で、モハ114形とユニットを組む。後述のモハ114形・クハ115形とともに製造開始時からの形式である。 モハ114形 モハ114-0番台(モハ114-1)走行音 この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。 電動発電機 (MG) ・空気圧縮機 (CP) などの補助機器ならびにパンタグラフを搭載する中間電動車。クモハ115形またはモハ115形とユニットを組む。 クハ115形 制御付随車。一部を除き後位3位側隅にトイレを設置する。本系列ではCPをモハ114形に集約したためクハ111形で実施されたCPの有無による番台区分はない。 サハ115形 1966年(昭和41年)に製造開始された中間付随車。基本番台・300番台では後位3位側隅にトイレを設置する。
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「国鉄キハ56系気動車」の記事における「新造形式」の解説
ここでは、各形式を番台区分して解説するものとする。なお1961年3月落成の先行製造車キハ56 1 - 5・キハ27 1 - 12・キロ26 1 - 5については、その後の増備車とは主に以下のような差異が見られる。 車体断面形状が異なり裾絞りが直線的 先頭車の前照灯・前面通風口をやや内側に設置 乗務員室扉と前位出入口の間に取り付けられている握り棒が長い キハ56・キハ27の連結面に窓がない
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