工藤監督時代
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「福岡ソフトバンクホークス」の記事における「工藤監督時代」の解説
2015年 4月を3位で終えるも、5月17日にはそれまで首位だった日本ハムを抜き、首位に立つ。交流戦は12勝6敗、首位・日本ハムと0.5ゲーム差の2位で終えるも、6月16日の阪神対日本ハム戦で日本ハムが敗れたことで、ソフトバンクの交流戦最高勝率が確定。チーム打率・287、チーム本塁打・23本、90得点はいずれも12球団トップ。前半戦は2位日本ハムと3.5ゲーム差の首位で終える。8月5日の対日本ハム戦に勝ったことで、マジック38が点灯。福岡移転後、最速での点灯となった。9月6日、対楽天戦に5-3で勝利し3位以内が確定、両リーグ一番乗りでのクライマックスシリーズ進出を決めた。9月17日、本拠地での対西武戦に5-3で勝利し、パ・リーグ最速でリーグ優勝を決める。リーグ優勝は2年連続19回目、リーグ連覇は2010年・2011年以来の5回目となる。9月26日の対ロッテ戦勝利で南海・ダイエー時代を含めて史上5球団目の球団通算5000勝を達成。10月4日の対楽天戦に勝利し、シーズン90勝を達成。シーズン90勝は球団では南海時代の1956年に96勝(52敗6分け)して以来59年ぶり。最終的には2位・日本ハムに12ゲームという大差をつけてのリーグ優勝となった。クライマックスシリーズファイナルステージではファーストステージ勝者のロッテと対戦。初戦の内川のサヨナラヒットで先手を取ると李大浩が期間中に2本のホームランを放つなど打線が爆発し、シーズン中の勢いそのまま4勝0敗(アドバンテージの1勝を含む)とストレート勝ちで、2年連続で日本シリーズ進出を決めた。東京ヤクルトスワローズと対戦した日本シリーズでは4勝1敗で2年連続7度目の日本一を達成。日本シリーズ連覇は21世紀初と球団史上初となった。柳田悠岐が打率.363・本塁打34本・盗塁数32個の成績で、首位打者のタイトル獲得と同時にトリプルスリー(3割30本30盗塁)を達成し、パ・リーグMVPにも選出された。ドラフトでは髙橋純平を3球団競合の末に獲得。 オフに新外国人としてロベルト・スアレスを獲得。シカゴ・カブスを自由契約となった和田が5年ぶりに復帰。李大浩、スタンリッジの両外国人選手が自由契約となった(李大浩はMLB・マリナーズ、スタンリッジがロッテに移籍)。松中が他球団での現役続行を視野に退団するも、獲得球団が現れなかったため、現役を引退した。 2016年 この年の3月より二軍の本拠地が福岡市雁の巣レクリエーションセンター野球場からHAWKSベースボールパーク筑後へ移転した。 李大浩に代わる新たな外国人野手を補強せず、開幕から純国産打線となるも、前年同様前半戦は快調に首位を飛ばし、交流戦でも2年連続の最高勝率チームになるなど、一時は史上初の6月マジック点灯の可能性もあった。しかし、中盤から最大11.5ゲーム差あった日本ハムの怒涛の追い上げを喰らい、その間主力選手の故障・不振者が続出。特に救援投手の故障・不振者の続出が深刻で、この年のシーズン先発投手勝利12球団トップを記録したものの、救援勝敗では5月以外勝ち越しがなく、後半戦の8月の月間成績における救援勝敗は0勝6敗を記録。その結果、失速の一途をたどり、8月末には日本ハムに首位を奪われてしまう。その後、日本ハムとの熾烈な首位争いに突入するも、9月21日・22日の対日本ハム2連戦に連敗。9月28日に日本ハムが優勝したことにより、リーグ2位が確定。 クライマックスシリーズではリーグ3位のロッテと対戦。2連勝のストレートで勝利し、リーグ2位としては2009年の楽天以来7年ぶりにファイナルステージ進出を決めた。ファイナルステージでリーグ優勝の日本ハムと対戦するも、2勝4敗で日本ハムに敗戦。3年連続の日本シリーズ出場はならなかった。 日本復帰1年目の和田が15勝を挙げ、最多勝となった。 オフにロッテを自由契約となったアルフレド・デスパイネを獲得。 2017年 3月31日にシカゴ・カブスを自由契約となった川﨑が6年ぶりに復帰。交流戦では広島と同率での最高勝率となり、広島に勝ち越したため3年連続の最高勝率球団となった。公式戦では5月に18勝7敗と大きく勝ち越し4位から2位に浮上。一方、5月10日に新外国人としてリバン・モイネロを獲得。7月7日に首位に立つが、9日には2位に陥落。8月上旬に入り楽天との間で首位と2位の入れ替わりを数回繰り返した後、8月15日に対オリックス戦に勝利し、両リーグ最速の70勝目とソフトバンク球団創設後通算1000勝目を挙げるとともに首位に浮上、その後は首位を独走し、9月16日には対西武戦に勝利し、パ・リーグ史上最速でのリーグ優勝を決めた。また、1シーズンのチーム失策38の最小タイ記録を達成した。1991年に西武が挙げて以来の記録で、当時はシーズン試合数が130試合であり、1991年より試合数が多い条件での記録となった。 クライマックスシリーズではリーグ3位の楽天と対戦。2連敗後に3連勝し、アドバンテージ1勝を含む4勝2敗で日本シリーズ進出を決める。迎えた日本シリーズではDeNAと初の対戦、3連勝して先に王手を決めるがその後2連敗を喫し、第6戦でサヨナラ勝利して4勝2敗で2年ぶりの日本一を果たした。 サファテが日本プロ野球新記録となる54セーブを挙げ3年連続の最多セーブ投手となり最優秀選手および正力賞に選出されたほか、東浜巨が16勝を挙げ菊池雄星(西武)と同数での最多勝、東浜のほか千賀滉大とバンデンハークも2桁勝利(それぞれ13勝)を達成、岩嵜翔が46ホールドポイントを挙げ最優秀中継ぎ投手、デスパイネが35本塁打・103打点で本塁打王・打点王の二冠となった。 オフに新外国人としてジュリスベル・グラシアルを獲得。 2018年 開幕前に髙谷裕亮が関節炎で離脱し、同じく栗原陵矢も左肩を脱臼のため全治6か月と開幕絶望的になった。しかし、残る唯一の一軍経験者甲斐拓也が侍ジャパンへ招集されたこともあり、オープン戦に一軍経験のない谷川原健太・九鬼隆平らが同行する緊急事態となった。これを受けて3月27日、育成登録だった捕手の堀内汰門と支配下契約を結ぶ。投手陣も前年右肘内側側副靱帯再建手術を受けたスアレスの来日が開幕後まで遅れ、前年左肘骨片除去手術を受け、その後復帰していた和田毅が左肩の違和感を訴え出遅れるなど故障者が多数出たこともあり、オープン戦は5勝10敗1分、12球団中10位の成績に終わった。 レギュラーシーズンでは前年の優勝の立役者だった千賀・サファテ・岩嵜らの怪我人が続出し、5月下旬から8月中旬まではロッテ・オリックスとの3位争いとなり、8月には一時期借金状態となる。8月下旬から連勝し、日本ハムを抜き、2位になり、さらに西武を猛追するが、9月15日からの対西武3連戦で3連敗を喫し、西武にマジック11が点灯、9月27日からの直接対決では再びメットライフドームで西武に連敗し、9月30日の福岡ヤフオク!ドームでのロッテ戦に敗れたことで、優勝マジック1としていた西武の優勝が決定したため、6ゲーム差をつけられ、リーグ連覇を逃し、2位でレギュラーシーズンを終えた。 クライマックスシリーズファーストステージではシーズン3位の日本ハムと対戦して2勝1敗でファイナルステージへ駒を進めると、リーグ優勝した西武と対戦、柳田の2本塁打・8打点などの活躍もあり昨年同様3戦目から5戦目まで3連勝し、4勝2敗(西武のアドバンテージによる1敗含む)で2年連続18度目の日本シリーズ進出を決めた。なお、ソフトバンクがリーグ優勝以外でクライマックスシリーズを突破して日本シリーズに進出したのはこのシーズンが初めてである。広島東洋カープとの日本シリーズではシリーズ史上最多の8度盗塁阻止(甲斐は6度盗塁阻止で日本シリーズ最多補殺新記録)などの活躍を見せ広島の機動力を完璧に封じ込み、4勝1敗1分けで下し平成最後の日本シリーズを2年連続9度目の優勝で飾り、パ・リーグの球団では初めてセ・リーグの全6球団を相手に日本シリーズを制した球団となった。同一監督による連続日本一は球団初。リーグ連覇を果たしていない球団が連続日本一になるのは史上初となり、平成の日本シリーズ優勝はこれが7度目で、それまで6度で並んでいた巨人を抜いて単独最多となった。ソフトバンクは2003年、2011年を含めシリーズ出場6連続優勝。史上最長11連続の巨人(1961、1963、1965~1973年)に次ぎ、西武(1986~1988、1990~1992年)に並ぶパ・リーグ最長記録となった。日本シリーズMVPに選ばれた甲斐拓也は育成出身史上初のMVPとなった。オフに本多雄一、城所龍磨が現役を引退した。また、攝津正が退団し、他球団で現役続行を目指していたが、オファーはなかった。 2019年 1月8日に攝津正が現役を引退した。シーズン開幕から故障者が続発する中、投手陣ではプロ2年目のアンダースローの高橋礼(同年の新人王を受賞)が先発で、高卒4年目の髙橋純平、ドラフト1位ルーキーの甲斐野央が中継ぎ・セットアッパーとして奮闘した。野手陣では故障者が続発する外野手の中で、飛躍を見せた育成出身の釜元豪や、同じく育成から支配下登録され、勝負所での代走や守備固めとして起用された周東佑京などの若手選手がその穴を埋めてみせた。若手の活躍もあり7月には2位に7ゲーム差前後つけて首位に立つものの、8月下旬頃から西武が猛追、9月中旬に首位から陥落、そして9月24日の試合で西武が勝利しソフトバンクが敗れたため、西武の優勝とソフトバンクの2位が確定、リーグ優勝を逃した。しかし、クライマックスシリーズではファーストステージで楽天に1敗のあと2連勝でファイナルステージ進出、そのファイナルステージでは西武に負けなしの4連勝で勝ち上がり日本シリーズに進出した。非リーグ優勝のまま日本シリーズに2回進出したのはソフトバンクが初である。19年ぶりに巨人との対戦となった日本シリーズでも負けなしの4連勝とポストシーズンを破竹の10連勝で締め、3年連続の日本一を手にし、「令和最初の日本一球団」となった。 これにより、ソフトバンクは2010年代にセ・リーグ全ての球団を相手に日本一を達成した。 オフに出場機会増加を希望した福田秀平が千葉ロッテマリーンズにFA移籍。福田の移籍はロッテのコーチで元ホークスの鳥越裕介が移籍を熱望したのが大きな理由であったという。江川智晃らが現役を引退した。スアレスが自由契約となった(阪神に移籍)。ヤクルトを自由契約となったウラディミール・バレンティン、新外国人としてマット・ムーアを獲得。 2020年 一軍本拠地の球場名称が「福岡PayPayドーム」に変更された。 開幕前の練習試合で内川聖一が大不振で開幕二軍スタートが決まり、また新型コロナウイルス感染症の流行の影響でグラシアルとデスパイネが来日できず、中村晃もケガのため、開幕に間に合わなかった。開幕後も松田宣浩やバレンティンなど、主力選手の打撃が振るわず、開幕スタートダッシュに失敗した。一方、開幕スタメンに抜擢された若手の栗原陵矢が開幕戦でサヨナラヒットを放つなどシーズン序盤は好調をキープしていた。7月10日(対楽天)に福岡ドーム1000勝を達成した。シーズン開幕の6月19日から無観客試合が続いており、この試合がシーズン初めて観客を入れての試合だった。また、延長10回(2020年シーズンの特別ルールにより延長は10回まで)の柳田悠岐のサヨナラ本塁打で決着し、節目となる記念すべき勝利に華を添えた。打順をほぼ毎日組み替えるなど工夫を重ねた結果、勝利を積み重ねて7月下旬には初めて首位に浮上した。8月1日、二軍で調整中の長谷川勇也が新型コロナウイルス感染症のPCR検査で陽性と判定され、これを受け、翌2日の試合(対西武・福岡PayPayドーム)は中止となった。8月中旬にグラシアルとデスパイネ、下旬にムーアが相次いで復帰。同月内は幾度か首位から陥落するも、いずれも1日で首位に返り咲いた。9月になると楽天が大きく後退し、事実上優勝争いはロッテとソフトバンクの一騎打ちとなった。9月17日(対日本ハム・札幌ドーム)、15日深夜に急逝した三軍コンディショニング担当の川村隆史を悼んで選手はユニホームの左袖に喪章を着けて試合に臨んだ。この試合で1000本安打を達成した中村晃はヒーローインタビューで川村に対する思いを語った。9月後半からは周東佑京が打撃の調子を上げリードオフマンの座を掴んだ。9月・10月初旬にロッテに迫られて再び首位陥落の危機に立たされるも、10月中旬以降は投手陣が安定、10月のチーム得点は142点を記録するなど打線も好調で、11日(対ロッテ・福岡PayPayドーム)、13日・14日(対オリックス・京セラドーム大阪)と球団記録に並ぶ3試合連続の無失点勝利を達成するなど、10日(対ロッテ・福岡PayPayドーム)から連勝を続け、コロナ禍で主力選手多数が一時戦線離脱したロッテを一気に突き放し、21日(対日本ハム・札幌ドーム)には工藤監督就任後最長となる10連勝を達成し、優勝マジック「8」を点灯させた。連勝を23日(対西武・福岡PayPayドーム)に12まで伸ばすなど、11試合で先発が勝ち投手になり、その後も順調にマジックを減らし、27日の試合(対ロッテ・福岡PayPayドーム)に勝利し、3年ぶり19度目のリーグ優勝を決めた。31日(対西武・メットライフドーム)の勝利で、月間22勝(4敗1分)・月間貯金18のプロ野球新記録を樹立した。終わってみれば、2位ロッテと14ゲーム差つけての圧勝であった。 周東が10月にプロ野球新記録となる13試合連続盗塁を決めるなど8月から一気に盗塁を積み重ね、最終的にはシーズン50盗塁を決めて盗塁王に輝いた。また、柳田が最多安打のタイトルを獲得し、2度目のパ・リーグMVPに選出された。投手では千賀滉大と石川柊太がともに11勝を挙げ、同じく11勝の楽天・涌井秀章と最多勝のタイトルを分け合った。千賀は最優秀防御率および最多奪三振(オリックス・山本由伸と同数)のタイトル、石川は最高勝率のタイトルも手にした。また、モイネロが最多ホールドのタイトル、中村晃も自身初のゴールデン・グラブ賞(一塁)を獲得した。森唯斗はリーグ2位の32セーブ、ほぼ1年間スタメンに名を連れた栗原は得点圏打率.333を記録した。チーム防御率は12球団唯一の2点台(2.92)、チーム得点は前年2019年のリーグ4位(582)から同2位(531)、本塁打はリーグトップの126本、盗塁もリーグトップの99。 一方、内川はこのシーズンでの一軍出場がなく、同シーズン限りで退団した(ヤクルトに移籍)。 ロッテとのクライマックスシリーズ(CS)では2戦ともに先制点を取られながらも逆転勝ちを収め、アドバンテージの1勝を含め3勝とし史上初のCS4連覇を果たした。11月25日、日本シリーズ・第4戦(福岡PayPayドーム)で読売ジャイアンツに4対1で勝利し、4勝0敗で4年連続11度目の日本一を達成した。なお、2年連続の4勝0敗は史上初、4年連続日本一はパ・リーグ初であった。栗原がMVPに輝いた。 オフにムーアが自由契約となった。日本ハムを自由契約となったニック・マルティネス、新外国人としてコリン・レイを獲得。 2021年 開幕4連勝と滑り出しは良く、序盤は首位に立つこともあったが、その後千賀滉大、東浜巨、森唯斗、モイネロ、グラシアル、周東佑京といった主力選手に故障が相次いだ上、松田宣浩、デスパイネ、バレンティンらベテラン陣の不振も重なり、上位をキープすることはできなかった。8度の優勝を誇った得意の交流戦でも5勝9敗4分け、球団ワーストの勝率3割5分7厘と大失速した。 東京オリンピック日本代表には柳田悠岐・栗原陵矢・千賀滉大・甲斐拓也が選出され、金メダルを獲得した。また、アメリカ代表にもマルティネスが選出され、銀メダルを獲得している。 オリンピックの中断期間中にダリエル・アルバレスを獲得するも、中断期間明けの後半戦も低迷から抜け出すことはできず、9月には借金生活に突入。9月後半に入って持ち直して3位楽天に迫るが、10月に入ると引き分けを挟んで8連敗と再び大きく後退したことが響き、最終的には10月23日の楽天戦で直接対決に敗れ、4位が確定し、球団初の日本一翌年のBクラスとなり、5年連続日本一はならなかった。 一方、バレンティンがウェイバー公示され、結果を残せなかったアルバレス、ロッカー内で他の選手の私物が盗まれた事案に関与したことを認めた古谷優人が自由契約となった。 甲斐、中村晃、柳田がゴールデングラブ賞、柳田がベストナインに選出された。契約最終年だった工藤監督は監督7年間で5回の日本一の実績を残して退任。また、長谷川勇也が現役を引退し、釜元豪、川原弘之、川島慶三、髙谷裕亮らが自由契約となった(高谷は引退してコーチ、川原は引退してスコアラーに転身、川島と釜元は楽天に移籍)。一方、ドラフト1位で風間球打投手の交渉権を獲得した。また、将来的には現在の三軍制を「四軍制」にまで拡張する方針を示し、育成ドラフトでも大量14人を指名した。工藤の後任監督として、藤本博史が就任した。福岡移転後、元南海ホークスの選手がホークスの監督となるのは、福岡移転初年度に南海時代から引き続きダイエーの監督を務めた杉浦忠以来32年ぶりで、ソフトバンクとなってからは初。 オフに中日からFA宣言した又吉克樹、新外国人としてフレディ・ガルビス、タイラー・チャトウッドを獲得。8月8日付で退団したコリン・レイが復帰。FA入団した又吉の人的補償として岩嵜翔が中日、9勝を挙げたマルティネスがサンディエゴ・パドレスに移籍。
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