11PM 11PMの概要

11PM

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 05:35 UTC 版)

WIDE SHOW 11PM
ジャンル バラエティ
企画 井原高忠
司会者 大橋巨泉
愛川欽也
藤本義一
小島正雄
三木鮎郎
山崎英祐
江本孟紀
村野武憲
吉田照美
三枝成彰
高田純次
所ジョージ
斎藤晴彦
由利徹
関根勤
出演者を参照)
オープニング 三保敬太郎「11PM のテーマ」
エンディング 同上
製作
プロデューサー 後藤達彦
制作 日本テレビ(月曜日・水曜日・金曜日)
よみうりテレビ(火曜日・木曜日)
放送
放送国・地域 日本
放送期間1965年11月8日 - 1990年3月30日
放送時間下記参照
回数全8625

特記事項:
1968年9月30日(月)放送分からカラー放送[1](これに伴い、よみうりテレビ制作分も、翌日(10月1日(火))放送分からカラー[2])
一時期、土曜日は名古屋テレビ制作で放送していた。(#番組概要参照)
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正式名称は『WIDE SHOW 11PM』、略称は「イレブン」。「イレピー」とも。日本テレビ制作分と読売テレビ制作分を区別する意味合いで「東京イレブン」「大阪イレブン」という呼称もあった。開始当初は午後のことを「PM」(Post Meridiem)と呼ぶ概念がまだ薄かった時代であり、新聞のテレビ欄に「11P・M」と記載されていた。

通算放送回数は東京イレブンが6095回、大阪イレブンが2530回、合計8625回だった。 最高視聴率は1973年12月に放送された「東西ストリップ合戦」で48パーセント超だった[3]

概要

毎週月曜日・水曜日・金曜日は日本テレビが、火曜日・木曜日はよみうりテレビが制作し放送した。日本テレビでは大橋巨泉愛川欽也、読売テレビは作家の藤本義一が主に司会を担当し、お色気から硬派な社会問題まで幅広く取り上げた。アシスタントは朝丘雪路、松岡きっこ、一谷伸江らが担当した。

木曜放送分は系列各局を回りながら、その土地の名物や風俗を探訪する企画を[注釈 1]、また金曜には週末情報の色合いを強め、釣り麻雀のコーナーを放送していた。

1972年6月からは土曜日の放送が加わり、名古屋テレビが制作した[注釈 2]。同局担当分はフォークソングロックなどこれまでテレビではあまり取り上げなかった分野に取り組み、毎回ミュージシャンをゲスト出演させていた。名古屋テレビ制作分は1973年3月の中京広域圏のネット再編に伴い打ち切りとなった[6][7]

詳細

当時から「ワースト番組」「低俗番組」「エロブンPM」などと呼ばれ、PTAや婦人団体から批判や抗議は多く、子供に見せたくない番組と一方的なレッテル貼りをされ[8]、当然のごとくPTAのアンケートにおいても、その子供に見せたくない番組ランキングの上位の常連に名を連ねた。政治家からの批判もあり、1975年には日本共産党中央委員会幹部会委員長(当時)の宮本顕治から「ポルノ番組だ」と非難された。それが証拠に放送当時、未成年の学生だった者もエロい番組だと認識していて、親に隠れて見ていた者は少なくない。コラムニストの泉麻人は、実家のテレビで「親が寝るのを見計らってこっそり観ていました」「バニーガールの太ももを舐めるような撮り方にドキッとした」と振り返る[9]嘉門タツオも「11PMを見ていて親が部屋に入って来たら別のチャンネルに変える」とネタにしている。

一方寺山修司山本直純などの文化人からは評判が良く、作家の井上ひさしは1972年の雑誌の中で「最良のテレビ番組は『11PM』だ。そこには知恵があり、熱気があり、一生懸命テーマを出そうとする気概がある。これが面白くなくてなんであろうか」と絶賛した[10]。久米宏は熱心に11PMを視聴し、アナウンサーになってからも番組制作の参考にしたと述懐している。


月曜日・水曜日・金曜日(日本テレビ製作)

  1. ^ 愛川の水曜日司会担当時、今野雄二がサブ司会を務めたが、詳細な担当期間は不明。
  2. ^ 巨泉の金曜司会就任当初、パートナーは週替わりのゲスト制を採っていたが、5週目のゲストパートナーとして朝丘がゲスト出演した際の両者の掛け合いが好評であったことから1966年5月より正式にレギュラーに起用された。
  3. ^ 朝丘の結婚・妊娠休業に伴う代役として出演。
  4. ^ a b c 小島の急死(1968年1月17日に急逝)に伴うもので、小島急逝後の1か月間は水曜日も含めて巨泉がピンチヒッターという形で務めていた(2月中旬以降、水曜日は堤と交代、月曜日は正式に後任となった)。
  5. ^ 1974年1月から3月は妊娠休業のため由紀さおりが代理パートナーとして出演。
  6. ^ カバーガール担当期間を含むが、アシスタント着任時期は不明。

火曜日・木曜日(よみうりテレビ制作)

  1. ^ 藤本は唯一の皆勤出演

注釈

  1. ^ STVとの共同制作「11PM SAPPORO」など[4]
  2. ^ 名古屋テレビからのレギュラー化以前にも共同制作で「11PM Nagoya」が不定期で放送されたこともある[5]
  3. ^ シングル盤「ハリー・オン・ダウン」には、「読売テレビ「11PM」番組挿入歌」の表記や、11時の時計が描かれたものなどがある。
  4. ^ 但し起用当初より司会者経験ゼロの堤の進行ぶりを不安視する向きがあり、堤は当初契約通り半年で降板。その後同8月下旬よりサントリーのインフォマーシャルを担当していた三木鮎郎が水曜司会を担当することとなった。
  5. ^ 吉田照美が出演していた当時の「金曜イレブン」は、10代後半から20代の女性モデルをレギュラーに起用(「SOS歌劇団」という番組内グループ)していたこともあり、彼女たちのスケジュール(10代のメンバーは一部に法律などによる出演時間の制約がかかる者もいた)に配慮しての「擬似生放送収録」が多かったようである。
  6. ^ 一時期『プラチナイト』の枠外だった時期あり。
  7. ^ 一時期、中京テレビの制作枠があった時期は日本テレビ制作枠が週2日となっていた。
  8. ^ 2019年4月からは金曜日に枠が設置されることに伴い、水曜日が中京テレビ制作に変更。これにより、日本テレビ制作が週3日の体制は維持となる。
  9. ^ 1985年3月までは「製作(社章)日本テレビ」(他局と異なり「著作」の表記がなかったため)。また当番組において、日本テレビ製作時のロゴ表記は手書きやゴシック体がほとんどで、正規の局ロゴでの表示は番組末期に行われた。
  10. ^ 当時、沖縄では未放送。
  11. ^ 1974年当時テレビ大阪は未開局。
  12. ^ 1979年 - 1980年2月
  13. ^ 1935年生の女優とは同姓同名の別人。本名同じ。1960年3月23日東京都生まれ。東京立正短期大学を1980年3月に卒業。1980年3月に「今週のギャル」コーナーに出演したが、出演した際の反響が大きかったことから1980年5月からカバーガールとなった[21]
  14. ^ 開始時、プロ野球ニューススタッフは本番組をかなり意識しており、キャスターに当時の月曜・金曜担当であった巨泉を引き抜く話もあったという。
  15. ^ 後述の、11回忌法要スペシャルは沖縄県を除く30局ネット(長崎国際テレビ鹿児島讀賣テレビを含む)で放送された。
  16. ^ 1994年4月スタートの『ニュースJAPAN』への内包となり、FNN単独加盟局以外でのネットが事実上不可能になったため。
  17. ^ これに伴い、四国放送高知放送テレビ宮崎は『どんまい!! VARIETYSHOW&SPORTS』よりネット再開した。
  18. ^ a b c d e f g h i 11回忌法要スペシャルもネット。
  19. ^ a b c d e f g h 11回忌法要スペシャルはネット。
  20. ^ ネット交換前日本テレビ系列局NNNのみ)だった福島テレビではネットされなかったが、福島テレビ福島中央テレビとのネット交換により1971年10月1日からネット開始[27]
  21. ^ エログロ低俗化を訴えた後、『ミセス&ミセス』と共に打ち切り。ただし、1983年10月12日は田中角栄の判決に関する内容だったので、「報道スペシャル」の題に置き換えた上で放送した。当番組の後番組である『EXテレビ』は1993年10月に山口放送がNNSフルネット局になってから放送を開始したほか、『ミセス&ミセス』の後番組である『ルックルックこんにちは』も当初は時差ネット(一時期放送なし)で開始したが、1993年10月以降はフルネットで放送した。
  22. ^ 放送開始した1965年12月時点ではネットしていない[37]
  23. ^ 「テレビ欄」『朝日新聞』大阪版、1969年4月30日、9面。
  24. ^ 1975年3月時点では既に打ち切っていた。
  25. ^ いったん打ち切りにし、後に再開。
  26. ^ 当時の上層部との折り合いが付かなかったのが退職の理由。
  27. ^ チーフプロデューサーと同義。
  28. ^ この日の『ZZZ』1部『キスだけじゃイヤッ!』と、『BOON!』は休止。
  29. ^ 長崎県と鹿児島県は終了後に開局した長崎国際テレビ鹿児島讀賣テレビにこの回だけ移行。
  30. ^ 福澤は、後にオーケープロダクションの親会社となったイースト傘下のノースプロダクションに所属。その後同じくイースト傘下のオールラウンドへと移籍している。

出典

  1. ^ 朝日新聞 1963年9月30日朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  2. ^ 朝日新聞 1963年10月1日朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  3. ^ 『11PM』読売テレビ版最終回での回顧録より
  4. ^ 11PM SAPPORO - 脚本データベース
  5. ^ 11PM Nagoya - 脚本データベース
  6. ^ a b c 名古屋放送社史 1982, p. 101.
  7. ^ a b c 名古屋テレビ放送50年史 2012, p. 80.
  8. ^ 第3章 社会教育団体としてのPTA /【第4節 子供たちの健全育成事業】有害環境の浄化 / 有害環境の浄化”. 日本PTA全国協議会. 2024年4月11日閲覧。 “昭和61年(1986)12月…好ましくない番組ワースト10では、…9(位)『11PM』”
  9. ^ "『11PM』『海賊チャンネル』『トゥナイト』…「昭和の"不適切"番組」はどんな内容だったのか(週刊ポスト2024年3月22日号)". NEWSポストセブン. 小学館. 2024年3月15日. p. 1. 2024年4月11日閲覧
  10. ^ 日本テレビ放送網 1983, p. 82.
  11. ^ 第9回ギャラクシー賞受賞作品”. 放送批評懇談会. 2014年11月14日閲覧。
  12. ^ a b c 「タモリさんも僕も偉そうなのが嫌いだった」『24時間テレビ』生みの親が語る、番組が始まった頃”. 週刊文春(2019年11月24日作成). 2019年12月7日閲覧。
  13. ^ a b 大橋巨泉 2004, pp. 167–170.
  14. ^ 大橋巨泉 2003.
  15. ^ 大橋巨泉 2004, pp. 208–213.
  16. ^ “小栗香織、「11PMの顔」は写真集制作で活躍/あの「色香女王」と感涙再会(終)”. アサ芸プラス. (2020年1月3日). https://www.asagei.com/excerpt/140368 2020年2月17日閲覧。 
  17. ^ 日本民間放送連盟(編)「日本テレビ パッケージとナマを適正に」『月刊民放』第19巻第4号、日本民間放送連盟、1989年4月1日、32 - 33頁、NDLJP:3471040/17 
  18. ^ 「「11PM」ストでお流れ 制作スタッフがすわり込み」『朝日新聞』1969年11月29日(朝刊)、12版、15面。
  19. ^ 読売テレビ50年社史 2009, p. 106.
  20. ^ 「REPORT・泉ピン子の発言にストリッパーが抗議」『週刊TVガイド』1975年12月12日、23頁。 
  21. ^ 「出番 青山京子」『福島民報』、1980年5月11日、朝刊、9面。
  22. ^ 「テレビ欄」『北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1965年10月 - 1966年5月。
  23. ^ 青森放送 2004, p. 63.
  24. ^ 青森放送 2004, pp. 84–85.
  25. ^ 「テレビ欄」『東奥日報』1977年9月と10月。
  26. ^ 「テレビ欄」『福島民報』1966年10月3日、1970年9月30日(朝刊)。
  27. ^ 「テレビ欄」『福島民報』1971年10月1日(朝刊)。
  28. ^ 新潟日報 1981年2月27日朝刊 P.20 テレビ欄(新潟日報マイクロフィルムにて閲覧)
  29. ^ 『NST』新潟総合テレビ発行、p. 12。
  30. ^ (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、29頁。 
  31. ^ テレビ静岡二十年の歩み 1988, pp. 222–223.
  32. ^ 「テレビ欄」『北國新聞』1988年4月8日(朝刊)。
  33. ^ 「テレビ欄」『北國新聞』1976年10月6日 - 1978年3月29日(朝刊)。
  34. ^ 「テレビ欄」『北國新聞』1975年4月4日 - 1977年3月25日(朝刊)。
  35. ^ 「おもな報道・番組の事跡」『山口放送三十年史』山口放送、1987年6月 p.137
  36. ^ 『山口放送三十年史』山口放送、1987年6月 pp.243-245
  37. ^ 「テレビ欄」『徳島新聞』1965年12月29日、7面。
  38. ^ 「テレビ欄」『朝日新聞』徳島版、1980年7月29日。
  39. ^ 南海放送 1984, p. 106.
  40. ^ 「テレビ欄」『愛媛新聞』1984年4月2日。 - 同新聞同日の南海放送広告にも。
  41. ^ 屋代卓也; 山浦正彦 (2008年3月17日). “リレーインタビュー 第60回 木崎 徹 氏 放送作家 / 音楽プロデューサー”. musicman. エフ・ビー・コミュニケーションズ株式会社. 2020年6月2日閲覧。
  42. ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』世界文化社、2017年9月25日、117頁。 






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