観念的競合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/31 00:11 UTC 版)
沿革
行為が1個か複数かによる区別は、ローマ法にまで遡ることができるとされる。その後のヨーロッパ法学の中では、「個々の犯罪には個々の刑罰を科す」という厳格な併科主義が一般的にとられていたが、次第に、それが過酷すぎることから、1個の行為で行われた複数の犯罪については併科せずに重い刑が軽い刑を吸収するという考え方が生じ、それがドイツ刑法に引き継がれた[3]。
日本で、1880年(明治13年)に公布された旧刑法では、「数罪倶発」の場合には「一ノ重キニ従テ処断ス」と規定されており(100条1項)、吸収主義がとられた。これはフランス刑法の影響だけでなく律の伝統によるものであるとされる。当時の学説では、「想像的数罪倶発」(観念的競合)の場合は一罪にすぎず、実質は数罪倶発ではないとするものがあったが、大審院は1904年、罪数は法益侵害の個数によるとして、観念的競合は数罪であり、旧刑法100条が適用されるとした(大審院明治37年1月21日判決・判決録10輯51頁)[4]。
小野清一郎はドイツ法学者のフランツ・フォン・リスト、エバーハルト・シュミット、マックス・エルンスト・マイヤーの論を引用し「観念的競合(想像的数罪)」説を次のとおり説明した。
観念的競合は一罪であるか、数罪であるか、学説上争の存するところであって、有力なる学説はこれをもって「外見上の犯罪競合」scheinbare Verbrechenskonkurrenz にすぎずとし[5]、また「真正なる法条競合」echte Gesetzeskonkurrenz なりとなすのである[6]。…この意味において私はいわゆる観念的競合は真正なる犯罪競合であり、ただその処罰において実在的競合(併合罪)の例によらざるをものであると解する—小野誠一郎『刑法講義』[7]
日本の現行刑法(明治40年法律第45号)は、ドイツ刑法の影響を受け、併合罪については吸収主義から加重主義に改める一方、観念的競合については、ドイツ刑法52条を継受して吸収主義をとった。そのため、一罪(観念的競合)と数罪(併合罪)の区別が重要な意味を持つこととなった。
- ^ 前田雅英ほか編『条解刑法』弘文堂、257頁。傷害罪の法定刑は15年以下の懲役又は50万円以下の罰金、公務執行妨害罪の法定刑は3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金であるから、この場合、重い傷害罪の刑により処断されることとなる。
- ^ 詐欺罪の法定刑は10年以下の懲役、商標法違反罪の法定刑は10年以下の懲役若しくは1000万円以下の罰金又はこれらの併科であるから、この場合、罰金併科がある点で重い商標法違反罪の刑(ただし罰金刑のみの選択はできない)により処断される。
- ^ 後掲参考文献『罪数論の研究』1頁以下
- ^ 小野清一郎『犯罪構成要件の理論』有斐閣・昭和28年、364頁以下
- ^ Liszt-Schmidt 1932.
- ^ Mayer 1923.
- ^ 小野清一郎 1932.
- ^ 最高裁判所昭和49年5月29日大法廷判決・刑集28巻4号114頁・判例情報
- ^ 最高裁判所昭和38年4月17日大法廷判決・刑集17巻3号229頁・判例情報
- ^ 最高裁判所昭和51年9月22日大法廷判決・刑集30巻8号1640頁・判例情報
- ^ 最高裁判所昭和57年2月17日決定・刑集36巻2号206頁・判例情報
- ^ 最高裁判所第一小法廷判決昭和23年4月8日(昭和22年(れ)第222号)刑集2巻4号307頁・判例情報
- ^ 最高裁判所第三小法廷判決昭和28年4月14日(昭和27年(あ)第664号)刑集7巻4号850頁・判例情報。重い罪の法定刑が懲役刑と罰金刑で、軽い罪の法定刑が懲役刑のみの場合、罰金刑を選択することはできない。
- ^ 最高裁判所第一小法廷判決昭和32年2月14日(昭和29年(あ)第3573号)刑集11巻2号715頁・判例情報
- ^ 最高裁判所第一小法廷決定平成19年12月3日(平成18年(あ)第2516号)刑集61巻9号821頁・判例情報・判例タイムズ1273号135頁。この事例では、法定刑が「10年以下の懲役」である詐欺罪と、法定刑が「5年以下の懲役若しくは300万円以下の罰金又はその併科」である犯罪収益等隠匿罪が観念的競合に立つ場合に、重い詐欺罪の懲役刑に犯罪収益等隠匿罪の罰金刑を併科することが許される。
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