群馬県立館林高等学校
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群馬県立館林高等学校 | |
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北緯36度14分31.2秒 東経139度30分48.9秒 / 北緯36.242000度 東経139.513583度座標: 北緯36度14分31.2秒 東経139度30分48.9秒 / 北緯36.242000度 東経139.513583度 | |
過去の名称 |
群馬縣立太田中學校邑楽分校 群馬縣立舘林中學校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 群馬県 |
校訓 | 文武両道・質実剛健 |
設立年月日 | 1921年 |
共学・別学 |
男女別学 (全日制) 男女共学 (定時制) |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 三学期制 |
学校コード | D110210000077 |
高校コード | 10129A |
所在地 | 〒374-0041 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概略
東毛(群馬県東部)に所在する伝統校。前身である太田中学(現在の群馬県立太田高等学校)邑楽分校が1901年(明治34年)に創立された。1912年(明治45年)に邑楽分校は一旦廃止されるが1921年(大正10年)に再興。全日制は1学年6学級で定員は240名(2018年度入学生以降は1学年5学級で定員は200名)、開校以来の男子校である。定時制の定員は1学年40名(男女)。部活動が盛んである。特にレスリング部は全国屈指の名門であり多数のオリンピック出場選手等も輩出している。
指標
- 一、我等はまず健康で明るくそして強くありたい。
- 一、我等は自由と平和を愛し真に民主的な国家の建設に邁進しよう。
- 一、我等は正義と真理を尊重し世界文化の潮流に預かり、これに貢献する実力を養おう。
校歌・応援歌
- 校歌
- 作詞者 佐藤春夫(詩人・小説家)
- 作曲者 信時潔(作曲家)
- 開校40周年を記念して1961年に制定。歌詞中リフレイン部分である「男(お)の子の意気はここに見る」は同校の謳い文句でもあり多用される。
- 旧校歌
- 作詞者 中村孝也(歴史学者・文学博士)
- 作曲者 井上武士(作曲家)
- 1934年制定。現在では開校記念日に歌われる。『皇国 に尽くす』等、軍国的な歌詞が存在するため現在では三番が歌われなくなった。行進曲風である。
- 応援歌
- 作詞者 半田雅男
- 作曲者 原秀夫
- 硬式野球部やサッカー部の大会の得点時に肩を組んで斉唱される。間奏に手拍子が入る。
- 館林中学校開校の歌
- 作詞者 井上確太郎
- 曲調 嗚呼玉杯
- 1921年の開校を記念し当時国語教諭であった井上確太郎により作詞された。
年表
1901年(明治34年)邑楽郡館林町(現・館林市)に設立された太田中学邑楽分校が起源であるが、1912年(明治45年)に邑楽分校は廃止となった。 郷土先覚者の献身的努力により、1921年(大正10年)2月に1学年定員250名の県立中学校として設立許可を受け、その年5月仮校舎(現在の群馬県立館林女子高等学校、当時館林農学校)で再興の式典が行われた。その後、幾多の変遷を経て1948年(昭和23年)4月に1学年900名の新制高校として許可され現在に至る。
- 1901年(明治34年)- 群馬県立太田中学校邑楽分校開校。
- 1912年(明治45年)- 群馬県立太田中学校邑楽分校廃止。
- 1921年(大正10年)- 文部大臣より群馬県立館林中学校として設立認可を受ける。仮校舎校庭において開校式挙行。
- 1922年(大正11年)- 校長室等の校舎竣工。
- 1934年(昭和9年)- 旧校歌制定。
- 1938年(昭和13年)- 講堂竣工。
- 1945年(昭和20年)- 3月に中島飛行機小泉製作所の艦上偵察機彩雲設計試作部隊が同校に疎開。
- 1948年(昭和23年)- 新制高等学校設置認可(全日制普通課程)。群馬県立館林高等学校となる。
- 1949年(昭和24年)- 併設中学廃止。
- 1951年(昭和26年)- 全日制商業科併設(商業科1学年定員50名/普通科1学年定員250名)。伊奈良分校設置認可。
- 1955年(昭和30年)- 伊奈良分校、板倉分校と改称(町村合併による)。中心校商業科2学級となる。
- 1958年(昭和33年)- 板倉分校全日制家庭課程併設。萬葉植物園完成。
- 1961年(昭和36年)- 新校歌制定、作詞 佐藤春夫、作曲 信時潔。
- 1965年(昭和40年)- 同校プール設置。
- 1967年(昭和42年)- 鉄筋コンクリート造り校舎増築。
- 1968年(昭和43年)- 板倉分校が独立し、群馬県立板倉高等学校となる。
- 1981年(昭和56年)- 特別教室(商業科、家庭科教室)、大成会館新築。
- 1982年(昭和57年)- 松林サーキット完成。
- 1985年(昭和60年)- 全日制普通科7学級となる(群馬県立館林商工高等学校開校に伴い、商業科2学級募集停止)。
- 1987年(昭和62年)- 商業科閉科記念式典挙行。商業科閉科。
- 1991年(平成3年)- 学習室、合宿室冷暖房設備整備。
- 1996年(平成8年)- 体育器具庫の改修(旧銃器庫)。
- 2002年(平成14年)- 全日制普通科1学年定員240名となる。全日制・定時制が2学期制となる。
- 2005年(平成17年)- 邑楽郡千代田町瀬井戸に艇庫改築。全日制・定時制が3学期制となる。
- 2007年(平成19年)- PTA負担による空調設備を普通教室に整備。
- 2011年(平成23年)- 東日本大震災により正門の片側が崩落する。
固有名詞の分類
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