美女木
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/01 08:44 UTC 版)
地理
戸田市北西部の沖積平野(荒川低地)に位置する。荒川東側の低地にあたる。北でさいたま市南区内谷、北東で美女木北、東で美女木東、南で笹目、南西で下笹目・和光市下新倉・新倉、西で戸田市内谷と隣接する。この西辺の戸田市内谷との境界付近の彩湖周辺で複雑な境界を持つ飛地群が形成されている。
美女木としては幸魂大橋東詰に内谷に囲まれた二つの飛地と、荒川と彩湖に囲まれた部分に北から南東にかけて内谷、南で和光市新倉、西で朝霞市下内間木と隣接する飛地を持つ。
河川・湖沼
地価
住宅地の地価は2017年(平成29年)1月1日の公示地価によれば美女木1丁目28番地11の地点で17万6000円/m2となっている[5]。
歴史
地名の由来
美女木は、中世の室町期は足立郡の佐々目郷(笹目郷)に属しており[6]、正応6年(1293年)以降、佐々目郷は鶴岡八幡宮に寄進された土地で、条里制や鶴岡八幡宮の造営・修復にかかわる地名が小字などに多く残っており、美女木は、流鏑馬による「飛射騎(びしゃき)」の呼称が年とともに変化した呼称である[7]とする説がある。また、江戸時代に編纂された『新編武蔵風土記稿』の美女木村の項には、「もと上笹目と云いしが、古へ京師より故ありて美麗の官女数人、当所に来り居りしことあり、其頃近村のもの当村をさして美女来とのみ呼しにより、いつとなく村名の如くなりゆきて」と記されており、旧名が上笹目であり、昔、京都から訳あって、美しい官女数人がこの地に来たことがあり、近くの村の人が当村を「美女来」と呼んだことが村名の由来とする説を「いとおぼつかなき説なれども」と記し、疑問を呈しながらも紹介している[8]。また、「ビジョ」は、泥濘(ぬかるみ)を意味し、低湿地を指していることが地名の由来とする説もある[6]。
沿革
- 江戸期は足立郡の笹目領に属する美女木村であった[6]。
- はじめは幕府領、正保年間(1645年〜1648年)より幕府領および旗本松平新九郎と宮崎備前守の相給による知行地[6]。
- 幕末時点では足立郡美女木村であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、代官大竹左馬太郎支配所が管轄する幕府領であった。八幡社や妙厳寺の寺社領も存在した[9]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 旧幕府領が武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる[10]。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴ない、美女木、内谷、曲本、松本新田の三箇村一新田が合併し、美谷本村が成立。美女木は美谷本村の大字美女木となる。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 笹目村との合併によって美笹村が成立し、美笹村の大字となる。
- 1957年(昭和32年)7月20日 - 美笹村が戸田町に編入合併され、戸田町の大字となる。
- 1965年(昭和40年) - 笹目・美女木地区で西部区画整理事業が開始。
- 1966年(昭和41年)10月1日 - 市制施行により戸田市の大字となる。
- 1983年(昭和58年)11月30日 - 戸田市大字美女木の大部分と大字下笹目の一部から美女木一丁目〜八丁目が成立[11]。
- 1987年(昭和62年)4月22日 - 大字美女木の一部から美女木東が成立[11]。同日大字美女木の一部が笹目北町に編入。
- 2019年(平成31年)3月6日 - 美女木四丁目の美笹交番が美女木二丁目に移転し、美女木交番に改称される。
- 2021年(令和3年)11月1日 - 大字美女木の字向田から美女木北一〜三丁目が成立、外環道より南は美女木東一丁目に編入。同時に字外仲田は美女木一丁目に編入[12]。これにより大字美女木は堤外地のみに残る。
世帯数と人口
2023年(令和5年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目・大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
美女木一丁目 | 1,431世帯 | 2,806人 |
美女木二丁目 | 1,024世帯 | 2,305人 |
美女木三丁目 | 276世帯 | 550人 |
美女木四丁目 | 329世帯 | 617人 |
美女木五丁目 | 262世帯 | 604人 |
美女木六丁目 | 258世帯 | 627人 |
美女木七丁目 | 471世帯 | 984人 |
美女木八丁目 | 459世帯 | 1,019人 |
大字美女木 | - 世帯 | - 人 |
計 | 4,510世帯 | 9,512人 |
- ^ a b “毎月1日現在の人口”. 戸田市 (2023年3月1日). 2023年3月1日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年10月20日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ “市内の住居表示地区・町界町名地番整理地区一覧”. 戸田市役所 (2021年11月8日). 2022年1月16日閲覧。
- ^ a b 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ^ a b c d 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 723頁。
- ^ 岩井 茂 著『さいたま地名考』p46-47 さきたま出版会
- ^ 新編武蔵風土記稿.
- ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の検索結果も参照。
- ^ 一部寺社領を除く。寺社領も上知令により1871年または1875年までに没収され、浦和県または埼玉県に併合される。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 増補9頁。
- ^ “美女木向田地区における住所整理(町界町名地番整理)の実施について”. 戸田市役所 (2021年11月12日). 2022年1月16日閲覧。
- ^ “小・中学校通学区域一覧”. 戸田市 (2021年11月1日). 2023年3月1日閲覧。
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