李成桂
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李成桂が登場する作品
- 開国 - 韓国KBSで1983年に放送。李成桂の生涯を描いている。演:イム・ドンジン。
- 龍の涙 - 韓国KBSで1996年から1998年にかけて放送。威化島回軍から朝鮮を建国し、没するまで晩年の姿が描かれている。演:キム・ムセン。
- 辛旽 高麗中興の功臣 - 2005-2006年、韓国MBCで放送。高麗の武将として権力を握っていく過程が描かれている。演:イ・ジヌ。
- 大風水 - 2012.10.10~2013.02.07-韓国SBSで放送。高麗の武将として朝鮮を建国するまでの過程が描かれている。演:チ・ジニ。
- 鄭道伝 - 2014年、韓国KBSで放送。倭寇を滅ぼした武将の彼が次第に民の苦痛に共感し始め、朝鮮の建国へと進んでいく過程が描かれている。演:ユ・ドングン。
- パイレーツ - 2014年製作の映画。明の皇帝から贈られた国璽を運んでいた使節船がクジラと衝突。紛失した国璽を取り戻すまでの顛末を描く。演:イ・デヨン。
- 六龍が飛ぶ - 韓国SBSで2015年から2016年に放送。彼を含む6人の英雄=“六龍”が腐敗した高麗を倒し、新たな理想国家を建てるため活躍する様を描く。演:チョン・ホジン。
- 私の国 - 韓国JTBCで2019年に放送。腐敗した高麗を倒し、朝鮮を建国したが、バンソクを溺愛してバンウォンを冷酷に扱う王として描く。演:キム・ヨンチョル
- 太宗イ・バンウォン - 韓国KBSで2021年から2022年に放送。朝鮮建国に導いた指導者イ・バンウォンの父として描く。演:キム・ヨンチョル
脚注
参考文献
- 伊藤亜人他監修平凡社編『朝鮮を知る事典』平凡社、1986年
- 岡田英弘『モンゴル帝国の興亡』ちくま新書、2001年
- 岡田英弘・宮脇淳子. “論証:李氏朝鮮の太祖李成桂は女直人(女真人)出身である”. 岡田英弘宮脇淳子研究室. オリジナルの2010年11月6日時点におけるアーカイブ。
- 姜在彦『歴史物語 朝鮮半島』朝日新聞社、2006年
- 金素天『韓国史のなかの100人』前田真彦訳、明石書店、2002年
- 武田幸男編訳『高麗史日本伝(下)』岩波文庫、2005年
- 朝鮮史研究会編著旗田巍編修代表『朝鮮の歴史』、三省堂、1974年
- 宮脇淳子『世界史のなかの満州帝国』PHP新書、2006年
- 村井章介『中世日本の内と外』筑摩書房、1999年
- 李殷直『朝鮮名人伝』明石書店、1989年
- 李景珉監修水野俊平著『韓国の歴史』河出書房新社、2007年
- 李大淳監修李成茂著『朝鮮王朝史(上)』金容権訳、日本評論社、2006年
- 麗羅『人物韓国史(上)』徳間文庫、1989年
- 六反田豊「定陵碑文の改撰論議と桓祖庶系の排除 : 李朝初期政治史の一断面」『九州大学東洋史論集』第15号、九州大学文学部東洋史研究会、1986年12月、45-82頁、doi:10.15017/24590、ISSN 0286-5939、NAID 120004593404。
- “뿌리를 찾아서 의혜왕후(懿惠王后)”. rootsinfo. オリジナルの2018年6月3日時点におけるアーカイブ。
- “의혜왕후 懿惠王后,?~?”. 斗山世界大百科事典. オリジナルの2021年8月24日時点におけるアーカイブ。
- 矢木毅「近世朝鮮時代の古朝鮮認識」『東洋史研究』第67巻第3号、東洋史研究会、2008年12月、402-433頁、doi:10.14989/152116、hdl:2433/152116。
関連項目
- 全州李氏
- 権知高麗国事-明が冊封していた高麗王から王位を簒奪した李成桂が、直後に明に使節を送ったことで明皇帝の洪武帝から与えられた「高麗国知事代理」を意味する称号
- 全州李氏鎮安大君-李成桂の長男。彼の死のために「第一次王子の乱」「第二次王子の乱」と呼ばれる李成桂の後継者争いが激化した。
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注釈
- ^ 太祖実録の総序によれば、「太祖康献至仁啓運聖文神武大王, 姓李氏, 諱旦, 字君晋, 古諱成桂, 號松軒, 全州大姓也。」であるので、本貫は全州李氏となる。
- ^ 元々、高麗の領土であったが、1258年のモンゴル軍の第四次侵略において、高麗の土着の豪族が投降する動きがあり、これに対応してモンゴルは、和州に設置し、周辺を領土化した。 村井(1999)
- ^ 儒教の知識を持ち、腐敗した仏教勢力やこれに連なる貴族が有する膨大な土地と人を国家に取り戻すことなどを訴えた。 李(2006)
- ^ 第一は小を以て大に逆らうのが不可であり、第二は夏に軍を動員するのが不可であり、第三は国を挙げて遠征すれば、倭寇がその虚に乗じてくるから不可であり、第四は暑くて雨の多い時に当たり、弓弩の膠(にかわ)が解け、大軍が疫疾にかかりやすいから不可である(姜在彦『歴史物語 朝鮮半島』朝日新聞社、2006年、120頁より引用)
- ^ 平壌城では火が燃えさかり、安州城の外では煙が立ちこめている。平壌と安州の間を往復する李将軍よ、願わくは蒼生(人民)を救いたまえ。(李大淳監修李成茂著『朝鮮王朝史(上)』金容権訳、日本評論社、2006年、57頁 - 58頁より引用)
- ^ “大君”の称号ができたのは1401年(太宗元年)。
出典
- ^ 『李朝太宗実録』巻十五, 太宗八年五月壬申条による。
- ^ 日本大百科全書『李成桂』 - コトバンク
- ^ “<Wコラム>朝鮮王朝おもしろ人物列伝~朝鮮王朝を建国した初代王・太祖”. wowKorea(ワウコリア). (2016年6月7日) 2020年11月28日閲覧。
- ^ 日本国語大辞典『李成桂』 - コトバンク
- ^ a b c d 第2版, 日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,百科事典マイペディア,デジタル版 日本人名大辞典+Plus,デジタル大辞泉,旺文社日本史事典 三訂版,精選版 日本国語大辞典,世界大百科事典. “李成桂とは”. コトバンク. 2022年9月15日閲覧。
- ^ 百科事典マイペディア,日本大百科全書(ニッポニカ). “李朝(朝鮮)とは”. コトバンク. 2022年9月15日閲覧。
- ^ a b 吉田光男 (2009年). 近世ソウル都市社会研究: 漢城の街と住民 - 58 ページ. 草風館
- ^ a b c d e f g h i j k 姜(2006)
- ^ a b 斗山世界大百科事典
- ^ a b rootsinfo
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- ^ a b c d e f g h i j k l 麗(1989)
- ^ 伊藤(1986)
- ^ a b c d e 李(1989)
- ^ a b c 水野(2007)
- ^ 旗田(1974)
- ^ 金(2002)
- ^ 小島毅『「歴史」を動かす―東アジアのなかの日本史』亜紀書房、2011年8月2日、129頁。ISBN 4750511153。
- ^ 小島毅『「歴史」を動かす―東アジアのなかの日本史』亜紀書房、2011年8月2日、130頁。ISBN 4750511153。
- ^ a b c 矢木毅 2008, p. 43
- ^ a b 矢木毅 2008, p. 44
- ^ 矢木毅 2008, p. 40
- ^ 黄文雄『日本の植民地の真実』扶桑社、2003年10月31日、137頁。ISBN 978-4594042158。
- ^ 矢木毅 2008, p. 45
- ^ 矢木毅 2008, p. 41
- ^ 矢木毅 2008, p. 49
- ^ 太宗実録 2年の記事。「遣上護軍朴淳于東北面, 被殺于彼軍中。淳至咸州, 教都巡問使朴蔓及州郡守令, 勿從思義, 遂被殺于彼軍中。」
- ^ 武田幸男 編『朝鮮史』山川出版社〈世界各国史〉、2000年8月1日、143頁。ISBN 978-4634413207。
- ^ 『李朝実録総序』
- ^ 李大淳監修李成茂著『朝鮮王朝史(上)』金容権訳、日本評論社、2006年、78 - 79頁より引用
- ^ a b c 「壬辰倭乱、ヌルハチと朝鮮 2」、Kdaily(朝鮮語)、2007年2月8日
- ^ 『国朝紀年』「貞淑王后崔氏籍登州」
- ^ 『東国輿地勝覧』巻48『定陵碑』「皇曾祖諱行里、襲封千戸、今封翼王、陵號曰智、配登州崔氏、今封貞妃、陵號曰淑」
- ^ 三田村泰助『明帝国と倭寇』人物往来社〈東洋の歴史〉、1967年、153頁。
- ^ 池内宏『李朝の四祖の伝説とその構成』中央公論美術出版〈満鮮史研究 近世編〉、1972年、29頁。
- ^ 六反田豊 1986, p. 45
- ^ 六反田豊 1986, p. 77
- ^ 池内宏『李朝の四祖の伝説とその構成』中央公論美術出版〈満鮮史研究 近世編〉、1972年。
- ^ 岡田英弘『モンゴル帝国の興亡』筑摩書房、2001年10月1日。ISBN 978-4480059147。
- ^ 山内弘一 著、武田幸男 編『朝鮮王朝の成立と両班支配体制』山川出版社〈朝鮮史〉、2000年8月1日。ISBN 978-4634413207。
- ^ 岸本美緒、宮嶋博史『明清と李朝の時代』中央公論社〈世界の歴史 (12)〉、1998年4月1日、17頁。ISBN 4124034121。
- ^ 岸本美緒、宮嶋博史『明清と李朝の時代』中央公論社〈世界の歴史 (12)〉、1998年4月1日、247頁。ISBN 4124034121。
- ^ “李成桂の家系はモンゴル軍閥”. 朝鮮日報. (2009年10月4日)
- ^ “一歷史學家主張“李成桂是高麗系蒙古軍閥”有望引起爭論”. 朝鮮日報. (2006年9月5日). オリジナルの2010年4月30日時点におけるアーカイブ。
- ^ (朝鮮語) 보르지기다이 에르데니 바타르 (ボルジギダイ・エルデニ・バタル) 『팍스몽골리카와 고려 (パックス・モンゴリカと高麗)』, 혜안 (2009/08). ISBN 9788984943674
- ^ a b c 姜智恩 (2017年6月). “朝鮮儒者中華認同的新解釋 ─「天下」與「國家」的整合分析” (PDF). 中央研究院近代史研究所集刊 (中央研究院) (96期): p. 50. オリジナルの2020年2月16日時点におけるアーカイブ。
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