広辞苑
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沿革
『辞苑』誕生
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『広辞苑』の出発点となる素案は、大正末期から昭和初年にかけ、民族・民俗学や考古学の書籍を多数世に送り出した岡書院店主の岡茂雄による。1930年(昭和5年)末、不況下の出版業が取るべき方策を盟友岩波茂雄に相談の折、「教科書とか、辞書とか、講座物に力を注ぐべし」との助言を得て、中・高生から家庭向きの国語辞典の刊行を思い立ち、旧知の新村出に依頼したのが発端となる。当初、新村は興味がないと断るも、岡の重ねての依頼にしぶしぶ引き受ける。その際、新村の教え子の溝江八男太に助力を請い、その溝江の進言により百科的内容の事典を目指すこととなる。書名は、岡が新村のために企画した長野県松本市での「国語講習会」での懇談の席上、新村考案の数案の中から決められた。「辞苑」の書名は、東晋の葛洪の『字苑』にちなんだもの。
編集が進むにつれ、零細な岡書院の手に余ると判断した岡茂雄は、大手出版社へ引き継ぎを打診。岩波茂雄には断られるも、岡の友人渋沢敬三を通して事情を知った博文館社長大橋新太郎から強い申し入れがあり、『辞苑』は博文館へ移譲された。『辞苑』移譲後も、編集助手の人事や編集業務上の庶務、博文館との交渉等の一切は岡茂雄が担当し、新村出を中心とする編集スタッフを補佐した。1935年(昭和10年)に『辞苑』は完成。刊行されるやベストセラーとなる。
『辞苑』改訂作業の挫折
『辞苑』刊行後、岡茂雄はすぐに改訂版の編集を新村出に進言。しかし『辞苑』編集中の博文館の新村に対する態度には心ないものがあり、これを不快に感じていた新村は改訂版作成に難色を示す。しかし岡と溝江の説得に思い直し、『辞苑』改訂に取り組むこととなった。岡は1935年(昭和10年)頃に出版業界から身を引くが、『辞苑』改訂版の編集では引き続き庶務その他一切の雑務を担当しつつ、編集・執筆者間の連絡調整にも腐心して、新村らの作業を補佐し続けた。改訂作業半ばに外来語を考慮していないことに気付き、少壮気鋭のフランス文学者であり、思想上の理由で投獄されちょうど釈放されたばかりの新村猛(出の次男)を編集スタッフに加えるよう進言したのも岡である。
作業は遅れ、完成のめどが立たないうちに第二次世界大戦が勃発。編集作業はさらに遅滞し、空襲開始と共に編集部は場所を転々とし、最後は博文館社長邸の一室で新村猛と2名ほどの女性スタッフで実務に当たった。1945年(昭和20年)4月29日の空襲により、ついに印刷用紙を保管していた倉庫と、数千ページ分の銅版(活字組版)を保管していた印刷所が被災し、『辞苑』改訂版の編集は中絶する。万が一を恐れた岡が、版下の清刷りを必ず5通印刷し、博文館と岡、溝江3名に各1通、新村家に2通を控えとして保管していたおかげで編集作業の成果は残り、後の『広辞苑』へ引き継がれる。
戦後、疎開先から帰京した岡茂雄が『辞苑』改訂版刊行の意思を博文館に尋ねるが、社長以下博文館側は拒絶、その旨は新村出にも報告された。その後、新村猛の交渉により、改訂版は岩波書店から刊行されることとなる。その際、博文館との軋轢を懸念した岡茂雄は、書名『辞苑』の引き継ぎに異を唱えたが、結局書名は『広辞苑』と決まる。その後岡の予想通り、岩波書店と博文館の間で裁判沙汰になった[3]。
『広辞苑』誕生から現在
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戦後生じた大きな社会情勢の変化、特に仮名遣いや漢字の字体の変更といった国語改革や新語の急増などにより、編集作業はさらに時間を要することになった。新村父子をはじめとする関係者の労苦が実り、1955年(昭和30年)5月25日に岩波書店から『広辞苑』第一版が刊行された。『辞苑』改訂作業開始から既に20年が経過していた。
1991年11月15日には第四版が発行され、さらに翌年の1992年11月17日にはこれをもとにした『逆引き広辞苑』が発行された。『逆引き - 』には見出し語のみで語義は掲載されていないが、言葉を最初の文字からではなく最後の文字から引くという独特さ、詩作の際の押韻やクロスワードパズルなどの言葉遊びにも利用可能な点が話題を呼んだ[4]。
1998年11月11日に発行された第五版では23万余語を収録。累計発行部数は第一版から第六版までで1190万部以上[5]、第四版が220万部[6]、第五版が100万部[6]、第六版は50万部[6]。中型国語辞典では売り上げ1位を誇る。発行部数のピークは1983年12月発行の第三版であった。
2008年1月11日に発行された第六版は24万余語が収録される。製本の際に薄くて丈夫な新しい紙を作るために、紙にはチタンが入っている。これにより薄くても透けない効果がある。第五版よりページ数が約60ページ増え、厚さでは僅かに薄くなったが、チタン入りのため重くなった。第六版の発行に際しては、第五版に掲載された全23万語の見出しと説明文を縮小コピーした駅貼りポスターの作成[7][8] や、ユニクロと提携して挿絵の図案をあしらったTシャツを販売する[7][9] などの販売戦略を行った。そのこともあって、2009年6月時点で第六版の発行部数は当初目標の22万冊を大きく上回っている[7]。この販促手法が評価され、岩波書店は第1回日本マーケティング大賞を出版業界で唯一受賞している(奨励賞)[7]。
第七版は2017年10月24日に発表され、同年11月に予約受付開始、2018年1月12日に発行された[10][11][12]。
刊行年譜
- 1935年(昭和10年):『辞苑』(博文館)発行
- 1955年(昭和30年)5月25日:第一版発行
- 1969年(昭和44年)5月16日:第二版発行
- 1976年(昭和51年)12月1日:第二版補訂版発行
- 1983年(昭和58年)12月6日:第三版発行
- 1991年(平成3年)11月15日:第四版発行
- 1998年(平成10年)11月11日:第五版発行
- 2008年(平成20年)1月11日:第六版発行
- 2018年(平成30年)1月12日:第七版発行
影響
1995年9月の井上ひさしの著書によると、愛用者は多く、一時期「広辞苑によると」という書き出しでエッセイなどを書くことが流行したとされる[13]。
注釈
- ^ 「大型の国語辞典である」とされることが多々あるが、日本で該当する大型国語辞典は、小学館が発行する『日本国語大辞典』のみである[1][2]。
- ^ 同様の事例で、以前から存在する語句でありながら、法律の成立・施行により語彙を改められた「少子」などがある。
- ^ ただし、1954年(昭和29年)初公開の「ゴジラ」は第五版で既に追加されている。第六版では1983年(昭和58年)放送の「おしん」なども追加された[16]。
- ^ 「上高森遺跡」の捏造が発覚したため削除された例など。
- ^ 学研「新世紀ビジュアル百科辞典」は辞典と名乗るが、存命の人名も掲載している。
- ^ 【ん坊】[接尾](多くの動詞の連用形に付く)そういう性質・特色をもつ人や事物。「んぼ」とも。「暴れ−」「食いし−」「赤−」「さくら−」
- ^ このことを渡部昇一は「非常に慎重に書いているように見えるのだが、最も重要な事実を書いていない」と指摘する[26]。
- ^ 水野によると、「韓人」(初版)が「韓国人安重根」(第二版)となり、第三版では「独立運動家」という肩書が付いて、第四版で「安重根」という独立項目となったという[27]。一方で、伊藤博文は「維新の功臣」が第五版から削除されている[27]。井上寶護はこれを受けて、この他にも数項目を引用した上で、『広辞苑』を「要するに一事が萬事、祖国の来歴になるべく冷たい視線を向け、先人同胞の行為を悪意の偏見をもつて断罪し、己のみ道徳的高みに立ちたい変態心理に支配された人々によつて作り上げられた「欠陥辞書」なのである」と切言する[28]。
- ^ この手段については「恥知らず[50]」や「政府の見解より劣悪な説明表記をしている[51]」などの意見がある一方で、「他の出版社でも似た記述はあるので、岩波書店が特に悪質なわけではないが、やはり権威ある辞書の性質上、きちんと反映した内容の記述をしていただきたい[52]」や「台湾の独立を承認すべきかどうかという議論とは全くの別問題[44]」といったものもある。
- ^ ただし「電子広辞苑 誕生物語 (吉田安孝/坪倉 孝) 」によれば、富士通のワープロ「オアシス 100GX」専用であった。
出典
- ^ “第1回 はじめに | 『日本国語大辞典』をよむ(今野 真二) | 三省堂 ことばのコラム”. 三省堂WORD-WISE WEB -Dictionaries & Beyond-. 三省堂 (2017年2月12日). 2022年8月2日閲覧。
- ^ 今野真二 2018, pp. 22–23.
- ^ 岡茂雄 1974.
- ^ “逆引き広辞苑 第五版対応”. 岩波書店. 2010年12月22日閲覧。
- ^ 岩波書店、『広辞苑第7版』来年1月12日に発売へ、文化通信、2017年10月25日。
- ^ a b c 広辞苑10年ぶり改訂 【LGBT】【ブラック企業】【がっつり】…など1万項目、『東京新聞』朝刊、2017年10月25日。
- ^ a b c d 「広辞苑 販促の妙 駅に全長14メートルポスター ユニクロとコラボ」『日経産業新聞』2009年6月18日付、7頁。
- ^ 「広辞苑」全23万語がポスターに-渋谷駅にユニーク広告、シブヤ経済新聞、2007年12月28日。
- ^ ユニクロが、『広辞苑』の面白さをTシャツに表現した『広辞苑』Tシャツをデザインしました、ユニクロ、2007年10月23日。
- ^ 『広辞苑 第七版』 - 岩波書店
- ^ 『広辞苑 第七版』特設サイトオープン - 岩波書店
- ^ 『広辞苑第七版』2018年1月12日発売(@Kojien7)さん (@Kojien7) - X(旧Twitter)
- ^ 井上ひさし 1995, pp. 129–141(初出は井上ひさし 1988)
- ^ “国語辞典に載ることば”. ことばおじさんの気になることば. NHK (2010年11月24日). 2010年12月22日閲覧。
- ^ “第30回 [前編]『広辞苑』とデジタル辞書 〜第六版刊行の舞台裏” (日本語), 連載Front Edge (KDDI), (2008-05-28), オリジナルの2008年10月14日時点におけるアーカイブ。 2011年10月27日閲覧。
- ^ “あの『広辞苑 第六版』はこうして作られた! 後編”. - Just MyShop -. ジャストシステム (2008年). 2011年11月4日閲覧。
- ^ “2020年代に入っても、古文から現代文に至るまでの出典を明示している。”. kojien.iwanami.co.jp. 岩波書店. 2023年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月26日閲覧。
- ^ 「広辞苑」第7版を引いてみた」
- ^ 広辞苑、こんなとこも変わってた 校閲記者の視点でチェックしました
- ^ 谷沢永一 & 渡部昇一 2001, p. 16.
- ^ 水野靖夫 2013, pp. 306–308.
- ^ 水野靖夫 2014, pp. 315–316.
- ^ 水野靖夫 2018, p. 307.
- ^ 新井佐和子 1998, pp. 48–49.
- ^ 谷沢永一 & 渡部昇一 2001, p. 210.
- ^ 渡部昇一 2008, pp. 90–91.
- ^ a b 水野靖夫 2013, pp. 45–46.
- ^ 井上寶護 2014, p. 37.
- ^ 水野靖夫 2013, pp. 85–86.
- ^ 広辞苑 誤記60年 那智黒石三重産を「和歌山産」に 『東京新聞』2013年8月27日
- ^ 『『広辞苑』「那智黒」の項目に関する一連の報道について――』(プレスリリース)岩波書店、2013年8月30日 。2022年1月22日閲覧。
- ^ 岩波書店 「『広辞苑第六版』お詫びと訂正」
- ^ 「広辞苑の「横隔膜ヘルニア」の項目に記述ミス―長井の男性が指摘、第2刷から訂正へ」『山形新聞』2008年1月31日
- ^ 広辞苑に書かれた「フェミニズム」を変えてほしい。 彼女たちが立ち上がった理由
- ^ 岩波・広辞苑の「フェミニズム」「フェミニスト」の説明文が変わります
- ^ 新広辞苑、誤り相次ぎ指摘=修正、ネットに追い付かず:時事ドットコム[リンク切れ]
- ^ a b “「広辞苑」新版またもや誤りが指摘 ネットでは「ちゃんとウィキペディアで確認した?」”. J-CAST ニュース (2018年1月19日). 2020年5月6日閲覧。
- ^ “「LGBT」の説明、修正検討 岩波書店の広辞苑第7版”. 『産経新聞』. (2018年1月15日) 2019年3月7日閲覧。
- ^ 遠藤まめた 2018, p. 243.
- ^ “広辞苑、「しまなみ海道」説明に誤り 経由地の島名を取り違え 改訂の追加項目”. 『産経新聞』. (2018年1月18日) 2019年3月7日閲覧。
- ^ 古川順弘 2018, pp. 110–111.
- ^ 「【坊守】「夫も務めます」/北方の男性 広辞苑に訂正要求」『中日新聞』朝刊、2018年1月20日、32面
- ^ “「広辞苑」に相次ぐミス指摘 “国民的辞書”揺らぐ信頼”. 『産経新聞』. (2018年1月26日) 2019年3月7日閲覧。
- ^ a b 飯間浩明 2018, p. 229.
- ^ 『岩波書店「広辞苑」の台湾に関わる誤記に関して』(プレスリリース)台北駐日経済文化代表処、2017年12月13日 。2022年1月22日閲覧。
- ^ “台湾側、「広辞苑」の修正要求 「中華人民共和国の省」との記載「誤り」”. 『産経新聞』. (2017年12月16日) 2019年3月4日閲覧。
- ^ “「台湾省」記載で対立 台湾「修正を」/中国「領土の一部だ」 最新版でも現状のまま”. 『毎日新聞』東京夕刊. (2017年12月21日). オリジナルの2020年8月13日時点におけるアーカイブ。 2019年3月4日閲覧。
- ^ 『読者の皆様へ――『広辞苑 第六版』「台湾」に関連する項目の記述について』(プレスリリース)岩波書店、2017年12月22日 。2022年1月22日閲覧。
- ^ “岩波書店、広辞苑の台湾表記「誤りではない」 台湾側は「遺憾」表明”. 『産経新聞』. (2017年12月23日) 2019年3月4日閲覧。
- ^ 大澤正道 2018, p. 79.
- ^ 石平 2018, p. 190.
- ^ 柚原正敬 2018, p. 197.
- ^ “国語辞典の差、韓日の知力差”. 朝鮮日報 (2018年4月8日). 2018年4月7日閲覧。
- ^ “「広辞苑」売り上げ好調 東大・京大でもベスト10入り”. J-cast News (2009年3月31日). 2018年4月7日閲覧。
固有名詞の分類
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