広軌新線(弾丸列車)敷設計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/18 19:03 UTC 版)
「東海道新線」の記事における「広軌新線(弾丸列車)敷設計画」の解説
詳細は「弾丸列車」を参照 日中戦争の進展により、政府はいずれ東海道本線と山陽本線の輸送力は大陸方面への輸送量増加に対応できなくなると想定し、両本線に並行して全くの新しい新線を敷こうと考えた。 狭軌と広軌(標準軌)によるものの2案があったが、結局は広軌と決まり1941年から建設が始まった。弾丸のように速い列車が走るということで、この計画は弾丸列車と呼ばれるようになった。その計画も戦況の悪化で中止されたが、戦後に東海道新幹線として実現している。
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