広軌化試験改造車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 05:43 UTC 版)
「国鉄2100形蒸気機関車」の記事における「広軌化試験改造車」の解説
1917年(大正6年)には、当時議論されていた広軌(標準軌)化構想に基づき、機関車を広軌化改造する際に必要な材料、工数、費用を調べるため、本形式1両 (2323) が浜松工場で広軌化された。同機は、同年5月23日から8月5日まで、横浜線原町田(現・町田) - 橋本間を通常の列車と広軌改造車の双方が走行できるように三線・四線式にして、同様に広軌化された6輪ボギー車、4輪ボギー車、4輪単車、貨車3両を牽引する試験を行った。この広軌化改造に伴い火格子面積の拡大を行ったことで牽引能力は増大し(1,067 mm軌間では10 ‰勾配で250 tの牽引に対し、1,435 mm軌間では350 tまで牽引)、石炭消費量においても優秀な成績を示した。 しかし、広軌化構想は1919年に頓挫し、広軌化改造されていた2323もしばらく大井工場に保管されたが、間もなく廃車された(狭軌に復原されて、1957年(昭和32年)まで使用されたとする説もあり)。日本の改軌論争も参照のこと。
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